TRPGをやるにあたって、今思うこと

29日に、グドモをするけど、もうすでにわたしちゃんのことがわからない。
わたしが、ここでのわたしはPLとしてのわたしであるけれども、わたしちゃんのことをわかっていないといけないという気持ちが強いってわかった。
わたしがわたしちゃんのことを、全てわかっている必要はなくて、わたしちゃんがどのような判断をしても、それをわたしが認めてあげるとか、それに対して責任を取るとか取らないとか、そういう必要がないとわかるんだけど、わからないのが怖いという気持ちがある。
わたしと、わたしちゃんは、違う人で、もちろんわたしの思考がわたしちゃんの思考と被るところはあると思うんだけど、別の人だとわたしがわかっていないと、どうにかなりそうで、怖い。これは、わたしが怖がっているということ。

カタシロを、砥部充希で回ったとき、あの時の発言は充希としての発言だったけど、みんなにわたしっぽいと言われて、充希としてでなく、わたしとして発言してしまってたって思った。それは、いいことなのか、よくないことなのか、わからないけど、今は、ちゃんとPCの思考を尊重したいっていう気持ちが強い。

砥部充希のイデオロギー

人間、筋を通せよ
無知の知
ソクラテス
でも、ソフィスト
数学では生きていけないから、実学に逃げた

これは、本当のわたしと同じで、あまりにも同じすぎたから、わたしと充希が混同してた。初めはみんなそうなのかもしれないけど、あまりにも混同し過ぎていた。
自己犠牲。
先生にも言われたけど、充希は、そして、わたしは、自己犠牲を美徳に感じている節がある。究極的に言うと、自己を犠牲にしている自分がすき。それは、自虐的に、自分を蔑むことで、安心するということ。それには、愛着問題がうんぬんかんぬんしているわけだけど、その話はやめておく。

充希になっていた時のわたしは、自分が自分であることを自分がわかっていればいいと思っていて、これは、わたしちゃんの思考とも重なるから、そういうのがすきなんだとわかった。

わたしがわたしのことをわかっていたい、わかっていないと怖いという気持ち
vs
わたしがわたしのことをわかっていると信じる気持ち

これを戦わせるために、TRPGをやりたいって思うってことかもしれない。

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