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#3 泣いてしまう時は過去の自分に手を合わす

毒親というものを知り、家庭環境と自分自身の関係性がはっきりとわかるようになって、

「自分と対峙する何かが明確になった安心感」「自分の思考・行動パターン、選択の数々が実は家庭環境の影響という土台上にしかなく、アイデンティティの喪失状態にあったということに気づいた恐怖」
「近頃はじめて自分の興味・関心・欲求からくる思考・行動・選択ができたということに気づき、自分にアイデンティティを見出しはじめた喜び」

という3つの波を受け、
自身の成長とこれからの自分との正しい向き合い方を自覚し、清々しい気持ちで前を向いて歩みはじめていたつもりだったのですが、

最近何気なく、ふと過去を振り返って、久しぶりに実家を出るまでの18年間を思い出して泣いてしまいました。

今日はその時のお話です。

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夏に受講したさとのば大学での3ヶ月を通し、
地域の方々と密に関わりながら過ごしたのは
多様な「親子」のあり方に触れる機会でもありました。

そこには、
こどもに向き合い、こどもを一人間として尊重し、こどもから学び、こどもを誇りに思う親と、
その親の背中を見て伸び伸びと育つこどもの姿がありました。

きっとその時は居心地が良すぎて気づいていなかったのですが、今考えてみれば、それは私が欲しかったけど手に入れられなかったものだったのかな、と。そうおもったとき、涙が溢れたんです。

個人の主張と我慢だけで成り立っていた私の家庭環境では、彼らのような人間としての向き合い方はおろか、尊重や尊敬もほぼなく、傷つけられたぶん傷つけ返して事を終える、
子である私の自己肯定感の低さは為すべくしてなったといえます。

愛されたかった、認められたかった、自分の生まれた意味とは、存在価値は……

いまでも苦しむことがありますが、
22年間のうちの18年間はあまりにも私の人生のほとんどすぎて、まだまだ自己肯定感を上げるのに時間がかかりそうです。

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さて、話は戻りますが、
私の中では実家を出るまでのあの18年間は一種のトラウマになっています。

あの家庭環境に丸ごと浸っていた時期は、家のどこかで喧嘩が起きる毎日。ネガティブな言葉や誰かが物に当たる音が日常であり、
とはいえ苦しくて泣いてしまうことも日常のように頻繁にありました。
実家を離れてからも親との小さな衝突があるたびに〝発作的〟に泣き出してしまうことも。

しかし、
当時はその涙が苦しさ辛さ悲しさから来ていたようでしたが、
今回はどこか、慰めとか同情的なものから来ているように感じました。供養にも似ているかもしれません。

手を合わせ、死者の冥福を祈るかのように、
時々現れる過去の自分と向き合っては、

「どうか報われるように」と背中をさすってあげるような、「いまの私はいつまでもあなたの味方だからね」と声をかけるような、
そんな気持ちで涙を流していました。

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きっとまだこれからもこの〝発作〟は続くでしょう。もしかしたら、いまの私が歩み始める未来では、少しずつ少なくなっていくかもしれません。

けれど、あの18年間がどれだけ私の経験値やら成長やらに繋がろうと、長い間苦しんだ過去の自分がいたことは確かであり、決して美化してはならないと思うのです。

だからこそ、これからもわたしは突如過去のわたしが現れようと、その度に手を合わせ、寄り添い、そっと抱きしめてあげたいと思っています。

無理に美化しない。
無理に忘れない。
無理に前を向かない。

過去があって今がある事を大切にしながら、生きていく。

そんなことをおもうきっかけになった今回のお話でした(^^)


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