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#4 老いる親と自立する私

私の記憶上人生で初めてではないか?
宿泊ありの家族旅行。
親に老いを、自身に成長を感じて悩むお話。

(今日は長い長いヒトリゴト。)

一人暮らしを始めてから年々帰省する回数は減り、4年目の今年はまだ一回も…というところでこのまえ旅行のために帰省した。

兄妹で実家を離れ、父は単身赴任、母は一軒家に一人。ひさびさに家族が揃う。

旅の道中、
相変わらず公共の場で喧嘩の絶えない両親に、もう慣れた恥ずかしさをひさびさに感じる。
「ああ、彼らはやはり変わることなどなかった」
ようやく叶った実家からの脱出生活に慣れすぎて、彼らから受けるストレスにどこか客観的な感情がうまれた。

中学生までは、末っ子というのもあり、私の意見が誰の耳にはいるわけでもないので黙っていたが、高校生ごろから両親の仲裁に入っていた私を思い返す。
当時としては成長だったのだろうが、今となれば変化の見込みもない彼らに、少しでも希望を見出して仲裁に入っていた自分は未熟だったと悟った。

毒親には子供の意見などなんの意味もない。


親の老い

父は50が過ぎても真っ黒でふさふさした頭だった。背筋も伸びて、心も若々しく、おそらく定年退職した今も、側から見れば現役バリバリのサラリーマンに見えるだろう。

ひさびさに会った彼を見ると、きっと娘だから気づいたのだろうか、頬がこけ、しわが深くなり、頭のてっぺんが少しグレーになっているように見えた。

母は父に比べればよく会っていたほうで、ここ数年彼女の変化をずっと見てきた。

もともと小柄で年相応の体型であったが、父の単身赴任後どんどん体重が減ってやせ細った。
広い一軒家にひとりだと、あれだけ上手な料理も作る気にならず、何を食べても味気ないらしい。
会うたびにやせ細り、背が低くなり、力強い母のイメージが失われていく。


両親2人が揃ったところを見るのは(この旅行のおかげではあるが)あまりにも久しぶりだったため、いつも以上に親から受けるストレスのフラッシュバックの量も、親自身の老いを感じる量も大きかった。

またか、いい加減にしてくれ、今日くらい…と思うことが無益とわかっていても思わざるを得ない状況は、高校生まで暮らしていた実家そのもの。何1つ変わらないのに、そこに「老いた親」だけが大きな変化となって対比され、どうしようもない感情になった。

実家を出るまで、どうやって親に復讐しようかずっと考えていた。
私の苦しみがわかったか!そう最後に吐き捨てることが小学生からの願いでもあった。
今は、完全なる経済的独立を果たし、親が自分の人生について口出する余地のないほど立派な大人になることが最高の復讐だと考えている。

奨学金と自分のアルバイト代で生計を立て、社会人も目の前にし、ほぼ親からの経済的独立を果たした大学生の今、この変わらぬストレスと親の老いを前にすると、「なんてずるい」と思った。

苦しみに耐え、武器を身につけるまでこんなに長い時間耐えたのにもかかわらず、いざ準備が整った頃には、もはや敵は敵としての戦闘能力をほとんど失い始めていた…というような。

今の私には、彼らを放っておくだけでダメージを与えられることになるのだが、あれだけ彼らに傷つけられた18年の痛みを報復する余地さえ与えない彼らに対し、憎しみよりもやるせなさがどっと押し寄せた。

あまりにもやり場のない過去の苦しみと悲しみ。

あの18年間はなんだったのか?
あの痛みへの我慢はなんだったのか?



私の自立

私が自立すればするほど、成長すればするほど、過去の自分に対し客観的な視点をもつ。

復讐の概念が変わり、そして今消えざるを得ない状況にある。

まだ22歳の私には、あの18年間は人生のほとんどで、あまりに重く、存在が大きすぎるが故に、主観の自分がそう簡単に手放せるものかと頑固になっている。

一方客観的な私はというと、復讐ができない状況も、したところでなんの利益にならないことも、むしろ損しかないことも、すべてわかっていて、ただただ同情の気持ちで複雑である。

いま親に復讐しようものなら、ただの弱いものいじめだ。それは彼らが私にしたこと。同類にはなりたくない。

今はまだ冷静に、答えを探り続けよう。

どうしたら過去のわたしにも、現在のわたしにも、未来のわたしにも、折り合いをつけて幸せになれるのか。

少なくとも、それは毒親の変化にではなく、私自身の変化に答えが存在してるだろう。



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