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#2 理解できないのは敵だからではなかった

寒くなってきましたね。

今日は、「親は大切にしなければならない」という考えの人たちに対して距離を取っていたわたしが、彼らは敵でも味方でもなく仲間なのだと思ったお話についてです。
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家族を大切にしなければならない者

前回「毒親」というカテゴリーに属する親の元で育ったことがわかったというお話をしたのですが、

それ以前から親というものに違和感を持っていたわたしは、常に
「親を大切にしなければならない」
「親を尊敬しなければならない」
「親を愛さなければならない」
ことを、暗黙の了解 兼 無条件必須事項としている社会の空気が嫌でした。

理由は、親との関係が比較的良好にみえる人ばかりがそう言ったからです。

異世界にいる人ばかりだと思いました。
それも、わたしの周りのほとんどにおいて。

最初はそう言う人たちが羨ましくて、憎らしくて、どうもお互いが理解し合えることはできないなと、次第にそういった人たちと家族の話で議論し合うのはやめました。そもそも育った環境が違うのに主張し合うなど無謀ですね。

それからは、
「家族を大切にしなければならないのは、家族に大切にされた者だけだ」
と自分の中に仮説を置くようになりました。
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毒親で育った子が「親を大切」にするとは

つい最近も、
「どうして親に敵対視しかできないの?」
と責められるように言われたことがあります。
ここに至った原因は、
「結婚の条件に、自分の家族を大切にしない人は結婚後の家庭を大切にできないから却下、と言っている人とわたしは結婚したくない」
とわたしが言ったことから始まりました。

毒親の元で育ったわたしにとっては、親と適度な距離を置くことが互いにとって良好な関係性だと思っています。それが側から見て「親を大切にしていない」ように見えたとしても、です。
逆に言えば、周りがしているような「親を大切にする」方法は、わたしの親にはすることができないのです。というより、してはならないように思います。それは、子であるわたしが一方的に尽くし、疲れ、傷つく結果にしかならないからです。

「敵対視」という言葉も、なんとなく違います。
わたしは傷つけたいわけでも苦しめたいわけでも、報復したいわけでもない。
むしろ、味方であると信じているのに何度も何度も裏切られ、苦しめられ、愛されたいのにそうしてもらえなかったからこそ、
もうこれからは自分の人生の中で親に苦しめられる時間を極力なくしたい、それだけのこと。

親にこれ以上干渉させない。わたしの人生を、心を守るために邪魔させない。そういう裏側の気持ちを他人に理解してもらえるのはとても難しいです。
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彼らもまた仲間。

わたしにとっては、「親を大切にしなければならない」と主張する方々がまるで正反対の場所にいるような気がして、
こういった話になると必ずぶつかることから、「議論の相手」≒「敵」
「同じ立場の人」≒「味方」
と考えていた時もありましたが、

よくよく考えてみれば、
議論の敵である彼らもまた、「親から与えられた深い愛」によって狭い世界にしか生きていない仲間なのかもしれません。
ある意味幸せ者ですが、固定観念を植えつけられてしまっている点では、ある意味不幸だなと。
そう思ってから、コミュニケーションを諦めていた彼らを見る目は変わりました。

一番望ましいのは、この世には様々な家庭で育った者が存在するというのを知ること。
そのために、わたしは彼らに伝えないといけない。毒親で育った子どもがどんな経験をして、どんな気持ちや壁に立ち向かいながら生きているのか、どんなことに傷ついてしまうのか。

同時に、望ましい家庭に育った人の思考、行動パターンも、わたしは学ばなければならない。

望ましい家庭に育った人も、そうでない人も、違いを理解できないのであれば仲間です。
いつか、どんな人であれ、自分の育った家庭環境や多数派の意見から生まれる固定観念から解放され、理解し合えるようになりますように。

世の中では虐待などの比較的程度のひどいものばかり注目され、その中間に位置する人間はただの反抗だの子どもだのと言われ白い目で見られます。
わたしは、家庭環境が原因で苦しむ人々(「親からの深い愛」によって固定観念を持つ人も含む)全てが、その程度に関係なく理解し理解される社会になってほしいと願っています。


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