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文系大学院生のつぶやき

新しいことを創造する力を身につけたい。
どうすれば身につくだろうか。昔の教育の歴史に遡ってみたい。

高校までの教育は戦後の教育の延長で行われている。富国強兵に基づく物である。
1872年から5回教育改革が行われている。ゆとり世代が生まれたのもその一つだ。ゆとり世代が生まれた背景には主体的な学びを生徒にさせるためにできたものであった。生徒が主体的に学問に取り組ませることが大きな課題であったようだ。現代も同じような課題があるように感じる。実際に、自分の小・中・高を振り返ってみると、興味や好奇心で勉強した経験が少ないように思う。高い点数を取ろうとか、行きたい大学に行くために必死で勉強していた。
しかしそれは、本質的な教養にならないと思う。いわゆるポジティブな動機からくる学習ではない。
 今は大阪の大学院で法律学について学習している。一言に法律学とは言っても事象の判断には、経営学、経済学、地政学、国際的な教養が必要になってくる。そのことに気がついて、なぜ?という疑問点を持って学習をしていると楽しい。好奇心の赴くままに学習を行なっていると、勉強が面白くなってくる。
 教育の現場には、いかにうまく生徒の好奇心を高めさせ、疑問をもたせ、それを調べるところまで持っていくかが鍵となるような気がする。
 知的好奇心の探求において、好奇心は非常に重要な要素になってくるだろう。これからの教育現場の革新に期待をもつ。

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