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第二次世界大戦期のミュージカル映画

あまり知られていませんが、第二次世界大戦期のアメリカは日本と戦争をしながらも大量のミュージカル映画を製作し続けていました。そして、それらの多くは戦争協力のために作られていたのです。

では、実際のところ第二次世界大戦期のミュージカル映画とはどのようなものだったのでしょうか? 少し調べてみると南国ブームやアメリカ版男はつらいよなど話題が目白押し。今週はそのあたりのことについて書いてみたいと思います。

量的な最盛期としての大戦期

一般的にミュージカル映画黄金期といえばMGMという映画制作会社が名作を連発していた1940年代後半から1950年代にかけてを指します。しかし、それは質的な話。量でみたときの最盛期は実は大戦期なのです。

平和な時代が終わるとアメリカ国民は「安く、早く、楽しい」娯楽を求めるようになりました。その需要に見事に応えたのがミュージカル映画だったのです。こうして大戦期の映画界においてミュージカル映画は支配的なジャンルとなりました。

それは戦後のミュージカル映画界をほしいままにしたMGMに限った話ではありません。大戦期においては、恐怖映画で知られていたユニヴァーサルや、ミュージカル映画のイメージの決して強くない20世紀FOXパラマウントコロンビアまでもがミュージカル映画を主力商品として量産していたのです。

①ユニヴァーサルの例

たとえば、ユニヴァーサル。財政難におちいったユニヴァーサルは、心機一転しミュージカル映画に取り組むようになります。そして1940年に公開されたのがカリブ海を舞台にした映画『ワン・ナイト・イン・ザ・トロピックス』(1940)。この映画でデビューしたアボット&コステロのコンビは人気を博し、その後28本もの映画が製作、ヒットしてユニヴァーサルを救うことになります。

②20世紀FOXの例

20世紀FOXアリス・フェイベティ・グレイブルと大戦期を代表する大スターを次々と生み出します。アリス・フェイの主演作品は『ティン・パン・アレイ』(1940)『ハリー・フリスコ・ハロー』(1943)と次々と大戦期において大ヒットを飛ばし、ベティ・グレイブルの出演作品もマイアミを舞台とした『ムーン・オーヴァー・マイアミ』(1941)や『ロッキーの春風』(1942)などヒットを連発することになります。

他にも20世紀FOXは、『ストーミー・ウェザー』(1943)や『ステート・フェア』(1945)、フィギュアスケートの伝説の金メダリストであるソニア・ヘニーを主演に使った名作ミュージカル映画『銀嶺セレナーデ』(1941)など大作を次々と世に送り込みました。

また、察しのいい方は気づいてるかもしれませんが、大戦期のアメリカではなぜか南国・南米ブームが巻き起こっていたようです。そのため南国を舞台としたミュージカル映画が量産されることになるのですが、それを牽引したのも20世紀FOXでした。『ザット・ナイト・イン・リオ』(1941)や『ウィークエンド・イン・ハヴァナ』(1941)、『バズビー・バークリーの集まれ!仲間たち』(1943)など南国を舞台とした作品を次々制作しました。

また、少し調べたらこのようなツイートが出てきました。このような政治意図が実際あったのかもしれません。

③パラマウントの例

パラマウントでは、珍道中シリーズが大変人気を博しました。珍道中シリーズというのは、

ビング・クロスビーボブ・ホープが旅先で歌って踊って馬鹿をしてドロシー・ラムーアに恋に落ち、そして取り合う」

というお決まりのストーリーで展開される一連のシリーズもののこと。アメリカ版『男はつらいよ』みたいな作品ですが、もっとお粗末で馬鹿馬鹿しいのが特徴です。

このシリーズは、1940年に『シンガポール珍道中』(1940)が作られた後も、アフリカのザンジバル(1941)、モロッコ(1942)、ユートピア(1945)、リオ(1947)、バリ(1952)、香港(1962)と場所を変えて様々なバージョンが作られました。どれも記録的な興行収入を稼いだとされています。

このシリーズ、毎回アカデミー賞とか時事ネタギャグをぶち込んでくるのでそこも楽しみのひとつでした。

④コロンビアの例

フランク・キャプラの人情喜劇で大手映画会社へと成長を遂げたコロンビアでも、『ショーシャンクの空に』でおなじみのリタ・ヘイワースを中心に大作ミュージカル映画が作られるようになりました。

そのなかでも代表作といえるのが『踊る結婚式』(1941)です。フレッド・アステア演じる演じるブロードウェイのダンサーが徴兵されて兵隊に入るはめになってしまうが、いつもやらかしてばかりで営倉に入ってばっかりというこの時代のド定番のストーリーでした。

また、アステアが兵隊の慰問のために来たショウガール、リタ・ヘイワースに恋に落ちてしまうという展開もド定番です。

この映画は、特にラストで描かれる戦車の上で踊るシーンが圧巻です。まさにこれぞ大戦期ミュージカル映画といえるような作品ではないでしょうか。

コロンビアは他にも『晴れて今宵は』(1942)や、ジーン・ケリーの出世作としても有名な『カバーガール』(1944)といった名作を製作しました。  

大戦期ミュージカル映画の分類

このようにMGMやワーナーだけでなく、各社がこぞってミュージカル映画を大量生産していたのが第二次世界大戦期でした。

さて、ここまでできる限り戦争色の弱い作品を中心に紹介してきましたが、大戦期には第二次世界大戦のために製作された戦争色の強い作品がたくさん作られました。そんないかにもな戦中映画作品をここからは紹介したいと思います。

そんな大戦期ミュージカル映画のなかでも明確に第二次世界大戦のために製作された作品は、ショルツの研究によって下記の四つに分類が可能とされています。

①慰問ショーもの
②兵隊ショーもの
③キャンティーン(兵士のための食堂兼娯楽施設)もの
④アメリカーナ・ミュージカル

①の慰問ショーものというのは、先ほど紹介した『踊る結婚式』のようなものです。慰問によるショーを描くことで戦争にも貢献できますし、慰問で行われるショーを描けばそのままミュージカル映画になります。

また、『踊る結婚式』とは異なりスター総出演での慰問ショーという形式をとるものも多く、そういった作品はいわゆるミュージカル映画黎明期におけるオールスターもののような内容となっていたりします。

代表的なものとしては『スター・スパングルド・リズム』(1942)や、下の動画にある『サンク・ユア・ラッキー・スターズ』(1943)などがあります。

次いで②の兵隊ショーものとは、兵隊たちがショーを行うといったもの。

後にアメリカ大統領となるロナルド・レーガンが出演していることでも広く知られるミュージカル映画『ディス・イズ・アーミー』はこの兵隊ショーもの代表作とされています。第一次世界大戦で活躍した親世代と第二次世界大戦で活躍する子世代を二世代にわたって描いたこの作品は瞬く間に大ヒット。興行収入は陸軍緊急救済基金寄付されました。

③のキャンティーンものは、実在するキャンティーンという兵隊を女性たちがもてなす場所をモデルにして作られた映画たちのことです。兵士と彼らをもてなす女優やスターとの恋物語となることが多く、特に代表的なのが『ハリウッド玉手箱』(1944)です。

この作品のストーリーは、太平洋戦線で負傷した兵士たちが運よくキャンティーンの100万人目の入場者となり見事好きな女優とデートする権利を獲得するといった夢物語。

こういった作品を通して、ハリウッドは「国のために戦えば、誰だって輝くスターになれる」んだという幻想を兵士たちに与えようとしたのでした。

最後のアメリカーナ・ミュージカルとは今起きている戦争を描くのではなく、アメリカ的な価値を肯定的に描いたり、あるいは「古き良きアメリカ」を称えたりすることで、国民を鼓舞しようとするミュージカル映画のこと。20世紀FOXでたくさん製作されました。

ヤンキードゥードゥルと子役による戦意高揚

ヤンキードゥードゥルという曲は日本ではアルプス一万尺の歌詞で知られています。アルプス一万尺小やりの上で~♪のあのメロディーです。

実はこれ、もともとはイギリス人がアメリカ人を揶揄して作った曲でした。しかし、アメリカ人はその曲をすごく気に入ってしまい独立戦争時に自分たちの軍歌にしてしまいます。

そうした経緯があるためこのヤンキードゥードゥルという曲は、アメリカにおいては愛国歌として歌われることが多くなりました。

そんなヤンキードゥードゥルという曲、様々なミュージカル映画でアメリカ人の愛国心をくすぶるために多用されてきました。なかでも最も印象的なのが『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』(1942)という映画。

ジョージ・コーハンというブロードウェイの伝説的なミュージカル作家が、一心に国を愛し続け、愛国歌を作ったりと国に貢献し、ついにはルーズベルトから名誉勲章を授かるというストーリー。見事なまでの愛国主義が描かれうアメリカーナ・ミュージカルです。

ヤンキードゥードゥルが愛国心をくすぶるのにつかわれたのはもちろんこの映画だけではありません。MGMが人気子役ジュディ・ガーランドミッキー・ルーニーを起用して製作し、大戦期に次々とヒットを飛ばしたいわゆる裏庭ミュージカルシリーズも同様です。

裏庭ミュージカルという作品群自体は、子供たちが大人たちの反対を押し切り自分たちでミュージカルを作って大成功させるという可愛らしいものですが、実はよく見ると非常に戦争色が強い作品となっています。

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たとえばこのシーン。まるでハイル・ヒトラーとでも言ってそうなポーズをしながら「大統領万歳」と歌っているというかなり今の感覚でみるとやばいシーンですが(しかも演者はみんな子役)、これは裏庭ミュージカルのなかの一つ『青春一座』(1939年)のシーンです。

もちろんここでいう大統領とはルーズベルトのこと。ほかにもルーズベルト大統領の顔をマスゲームで子役たちが再現するようなシーンもありました。

このように大戦期においては、裏庭ミュージカルという子供たちのかわいらしいミュージカル映画作品ですらも、子役たちはルーズベルト万歳と歌い、星条旗を讃え、ヤンキードゥードゥルを歌っていたのでした。

スターたちによる戦争協力

大戦期のミュージカル映画は、あの手この手で戦争を支援してきました。

今まで紹介してきたもの以外にも、コメディアンとしても有名なミュージカルスター、ダニー・ケイは『ダニー・ケイの新兵さん』(1944)で、日本兵を捕らえて英雄になる兵隊役を演じることで兵隊たちを鼓舞しました。

戦後大スターとなるジーン・ケリーのデビュー作『フォー・ミー・アンド・マイ・ギャル』(1942)も戦意高揚映画です。臆病者の主人公がズルをして兵役を逃れるも、のちに後悔して軍隊の慰問に勤しむことになります。すると、運よく敵の待ち伏せから自軍を回避させることを手伝うこととなりアメリカの英雄になるというストーリーです。

この映画で製作者たちは、アクロバティックで個人主義的に映るダンススタイルをとるジーン・ケリーを劇中で否定することで、「チームワークを尊重しよう!」というメッセージを伝えようとしたのでした。

こうして戦意高揚映画で個人主義的な厄介な兵隊役という反面教師的なポジションを獲得したジーン・ケリーは『万雷の歓呼』(1943)などで同様の役柄をこなしていくことになります。そして『カバーガール』(1944)をきっかけにスターになっていくのでした。

戦争疲れによる客の変化

しかし、戦争が長引いてくると客の嗜好も少しずつ変わって来ます。戦意高揚ムード一色の映画が飽きられてきてしまったのです。

そんななか大ヒットを飛ばしたのがジュディ・ガーランド主演のMGM作品『若草の頃』(1944)でした。製作は戦後ミュージカル映画黄金期を一人で築き上げた男アーサー・フリード。この作品は、当時のMGMとしては『風と共に去りぬ』に次ぐ歴代第二位の興行収入を稼ぎあげます。

若草の頃』で描かれたのは戦争とは無縁の牧歌的な家庭の風景でした。セントルイス万博を控えた中流家庭のなんてことない日常を暖かく愛情たっぷり描いた作品が、数ある戦争映画をなぎ倒し、記録的なヒットを飛ばしてしまったのです。

この作品の成功を機にミュージカル映画における家庭ものブームがはじまります。『ステート・フェア』(1945)や『センテニアル・サマー』(1944)、『イズント・イット・ロマンティック?』(1948)や『ムーンライト・ベイ』(1951)など各社がさまざまな家庭もののほのぼのとした作品を作りました。

こうして、大戦期のミュージカル映画は転換期を迎えたのでした。

戦争の終了と黄金期の到来

このように大戦期のミュージカル映画は大量に生産・消費されていました。その中には『若草の頃』のように、今でも鑑賞に堪えうる作品がある一方、各社がこぞって生産していたわりには現在まで名前の残っている作品は多くはありません。そのため、今でも大戦期のミュージカル映画は粗製濫造でああった。という印象が今も強く残ってしまっているのです。

1945年夏、戦争が終わるとやってきたのはミュージカル映画黄金期でした。『イースターパレード』(1948)や『踊る大紐育』(1949)、『アニーよ銃をとれ』(1950)、『ショウ・ボート』(1951)、『巴里のアメリカ人』(1951)、『雨に唄えば』(1952)、『バンド・ワゴン』(1953)などなど錚々たる名作たちが続々と製作されることになります。

こうして、戦時下では否定される運命にあったジーン・ケリーの自由奔放なダンススタイルは戦争が終わることでようやく伸び伸びと華開くことになります。ソロやデュエットでこそ真価を発揮するフレッド・アステアもついに兵隊役以外の役を伸び伸びと演じることが可能になりました。

そう考えてみると、黄金期の名作たちは世界大戦の終結なしにはなしえなかったと言わざるをえないのです。

私は冒頭で今はミュージカル映画を見る気にはなかなかならないと言ったことを言いました。

しかし、今こそおけるジーン・ケリーの溌溂とした自由のダンス、あるいはフレッド・アステアの奇想天外なソロダンスを私たちは見るべきなのかもしれません。

きっとそれが私たちの願う平和であり、私たちが願う自由なのでしょう。

※本稿の大部分は下記文献を参考にしてます。

・松田英男『映画の身体論』「アメリカ戦中ミュージカル映画の系譜 進軍とアメリカーナ」(2011)、ミネルヴァ書房
・スタンリー・グリーン『ハリウッド・ミュージカル映画のすべて』(1995)、音楽之友社

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