自分の人生を生きてこそ、誰かの人生を変えられる
就活に悩む大学生がラ・ラ・ランドを見たら…
ラ・ラ・ランドを見て、この興奮をそのまま書いていく。
だから、エマ・ストーンの演技がどうとか、そんなことは書かない。書くのは、自分の書きたいことだ。
自分の人生を生きてこそ、誰かの人生を変えられると思ったから
音楽はなんて自由なんだろう。音楽はなんて悲しいんだろう。音楽はなんて素直なんだろう。
「音楽なんて無くても生きていけるが、人生にBGMは必要だ」
そんな名言を言いたくなるような、胸の高まり。とりあえずそばにあったハーモニカをラ・ラ・ランドのBGMに合わせて吹いてみた。ラの音さえも分からずに。
「打ちひしがれても 立ち上がり前を向く
また朝がくれば 新しい日」
そんな歌で物語は幕を開ける。
人生上手く行くことなんてそうそうない。22年生きてきて思う。「人生8割が失敗。2割上手く行けば万々歳」らしい。
でも、だからこそ人は「あの時こうしていれば」「あの日に戻れれば」なんて思ってしまう。歴史にifは無いけれど、過去に夢を見てしまう。
じゃあ夢は未来に見よう!この先の人生なんてどうなるか分からないが、どうにでもできる。
そんな簡単な話じゃない
「誰かを探そう」
2曲目が語りかける。
「頂へ行けるかも もしあなたが準備できているなら」
自分の人生を思い返せば、頂を目指してこなかった。何となくその時やりたいことをやって、ワンチャンなんて思いながら。
そのときにしか奏でれないジャズのように。
人生はタイミング
そういう意味では、恋愛も、学校生活も、その時のタイミング次第だ。今こうして京都から関東の大学にいるなんて全く想像もしなかったし、未来のことなんて考えても無かった。
ただ、恋には臆病で、タイミングのせいにして彼女ができないのは、単に準備ができていないからかもしれない。
夢追いかけて…
この大学に来たのも、夢追いかけてなんてカッコイイ理由じゃない。高校でちょっとイイ感じになったから、推薦をもらってなんだかんだ来てしまった。本当にやりたかったことではないのかもしれない。それでも、目標ができて、挫折しながらも前に進んでいる。
夢追いかけてここに来た人と比べたら、自分がどうなのかなんて分からない。どうしたいかなんて分からない。でも、ワクワクしている自分もいる。
「どこへ行くかなんて知らなくていい。高鳴る心さえあれば」
そんな歌が、心に火をつける。
夢or現実
夢を追いかける人生は、果たして幸せなのだろうか?
現実を見て、無難に生きる人生は幸せなのだろうか?
他人を喜ばせる人生か?
自分を喜ばせる人生か?
自分にとって、他人の喜びが自分の喜びだと思っていた。実際それが楽しくて教師を目指した。
しかし、教育実習で感じた。社会科の歴史を教えて「面白い」と言ってくれる生徒がいる。社会の歴史を好きになってくれたら嬉しいな。だって歴史はこんなに面白いんだもん。
あれ?他人を喜ばすために歴史を教えているのか?いやどうやら違う。自分が歴史を好きなんだ。好きで、面白くて仕方ないから、それをみんなに知ってほしいだけなんだ。
なんて自分勝手な理由なんだろう。「俺は面白いと思った。どうだ?お前も面白いだろう?」と。
夢
僕は、教師になるのが夢ではなかった。なんとなく教えるのが好きだと思っていた。でも教師は自分の人生をなげうって人を育てる、自己犠牲の仕事なんだといつからか思っていた。でもどうやら違う。好きなことを教えてお金をもらえる仕事なのか。それで、生徒が喜んでもらえるのか。
なんて愚かだったんだろう。
『どうか乾杯を 夢追い人へ。たとえ愚かに見えても』
何がやりたいのか
他人の人生を変えることが、教師だと思いこんでいた。自分との出会いで他人が喜んでもらえる。影響を与えられると。
でもその前に、自分はどうなんだ?
他人のために生きることを建前に、自分の人生から逃げていたのか?
自分の本当にやりたいことってなんだろう?自分の幸せってなんだろう?
だから気づいた。
『自分の人生を生きよう。自分の人生を生きてこそ、誰かの人生を変えられる』と。
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