【目標設定講座 1】 キリギリスの弁明 努力しない方が目標は実現する?
いきなりですが、ちょっとした自慢をさせてください😅
私は高校中退して、大検を受けたのち大学受験したのですが、7校受験してすべて合格したんです。
同級生より2年遅れだったので、一浪したくなくて、幅広い偏差値の大学を受験しました。
精神科に通い出したのは大検予備校のときですが(高1のときに一度だけ単発受診はしてます)、受験のときは精神状態がよかったようです。
大検予備校の空気には馴染めませんでしたが、大検合格後は一般の浪人生が学ぶ校舎の方に通っていたので、煩わしい人間関係もなく勉強に集中できました。
自習室で皆が黙々と参考書に向かうあの雰囲気が好きでした。
さて、前置きが長くなりましたが、私は目標を設定するのがあまり得意ではありません。
なぜなら今まで体調が不安定すぎて、目標を掲げてもかえってプレッシャーに感じるばかりだったからです。
最近は体調が安定してきたので目標を掲げてもよさそうですが、あまり気乗りがしません。
さて、目標には2種類あります。
私は行動目標を立てるのが苦手なんです。
正確には、行動目標的な行為が苦手、と言えるかもしれません。
気力のムラがあるので、「毎日30p、テキストを勉強する」なんて均等な努力が苦手なんです。
だって、好きなことを実現するために行うことって、本来は楽しんでやれるはずではないですか?
それなのに「毎日○○する」なんて義務扱いして自分に課すものだから、かえって負担に感じてしまうのではないでしょうか。
最初の例に戻りますが、私は受験勉強をとても楽しんでやりました。
苦労したとはあまり思ってないんです。
そういうスタンスが合格にもつながったと思います。
理数系が苦手なので、国立受験時の理科は暗記系科目の生物、数学はなんと数Ⅰまでしか勉強しませんでした。
それでも一応、地方の大学の文学部に受かりました。
苦手なことはなるべくならやりたくないです。やってて楽しくないからですね。
反対に、やるのが楽しかったのは小論文、現代文、英語などです。
現代文も英語も、京大コースの授業を取っていました。
京大志望ではなかったですが、早慶のような難関私大コースでは選択問題が多いんです。
国立大コースは論述問題が多いので、こちらの方が楽しくできました。
日頃論述問題に慣れていれば選択問題にも対応できますが、その逆は厳しいと思ったからです。
私の行っていた大検予備校は、本校(一般の浪人生が通う予備校)の授業が好きなだけ取り放題だったんです。
これはラッキーでした。そのおかげで、文系科目は難しめのクラス、理数系科目は極めて易しいクラスと、差をつけて履修することができました。
無理のない難易度設定だったからこそ、受験勉強を負担に感じなかったとも言えます。
孔子の『論語』の中にこういう言葉があります。
勉強においても、単に勉強を頑張っている人よりも、勉強が好きな人、さらには勉強を楽しんでいる人の方が優っているのではないでしょうか。
とはいえ、頑張るのが好きな人もいるでしょう。
頑張ってる自分が好き、みたいな。
こういうのは一種のナルシシズムみたいな気もしますが、それでやる気が出るなら全然問題ないのでしょう。
ただし、努力や頑張りという概念には無理や我慢が付きものです。
ダイエットが長続きしないのは、無理をしているからです。
人から褒められたりしているうちはそれを目当てに頑張れても、だんだん周りの反応も薄くなり、そうなると張り合いをなくしてしまう。
ダイエットは他人の称賛ではなく、自分の健康のために行う方がおそらく失敗しないです。
無理をせず、バランスのよい献立が日常化すれば、もはや努力ではなくなります。
タモリさんは目標を立てたことがないと聞きました。
長寿番組の「笑っていいとも」の反省会も行ったことがないとか。
なるようになる、というのがタモリさんの人生観のようです。
ですから、目標を定め、毎日○○を頑張る!と意気込むよりも、ゆるやかな方向性だけを頼りに毎日できることをこつこつこなしていく方が、精神的な負担を感じることなく目標に近づけるかもしれない。
努力型人生のアリではなく、気分のムラに従って生きたいキリギリスの弁明でした😅
このnoteにしたって、書きたいときに書いてるから長続きするのです。
毎日アップする!なんて目標を立ててる人を見かけますが、そんなことをすれば負担感が増すだけだし、記事のクオリティも下がるでしょう。
今日は、目標設定は緩やかでもいいのでは?というお話でした。
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