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フラストレーションは文字に溶けていく。 SNS. 【 https://instagram.com/koty______ 】 Work. 【https://koty-tumbler.tumblr.com/

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フラストレーションは文字に溶けていく

こんにちはとはじめまして  タイトルはブログのテーマです 二足の草鞋 は、人生のテーマです https://instagram.com/koty______ InstagramのURLです https://www.tumblr.com/koty-tumbler?source=share noteは、気持ちの可視化です 365日、日々の言葉 限りなく日々の生活の中から滲み出してくる言葉は誰かにとっての革新的な言葉になりうる 私はみんなの革新的な言葉に触れていたい

    • 将棋をしている

      将棋みたいな人生を、強く、逞しく、 支えてくれる言葉と表現の数々 なんだか尽きることのない井戸水だと思う 必要な時に自分の井戸から汲み出したらいい そのまま秘めておくことも美しいけど、私は、適切な言葉が喉元から出てこない時に悔しいと思う ああ、溜めてなかったなあと まるで武器のように汲み出せたら良い できれば私の中にある井戸を生涯かけて溢れさせたい 溜め続け、あらゆる解釈を加えたことで変化を遂げた叡智は、溢れ出し、他の人の井戸に流れ込む そしてまた、変化を待つ  まる

      • 日記

        2023.11.7 私の言葉は誰かの言葉を繋いだ文章でしかない これが私らしいと思う 私は日常からのエッセンスをコレクションするのが好きだから  私はマメで小さなサプライズが好きなだけど雨と分かってて出かけるのが至極嫌いで、全部リスケになればいいと思ってる よくリスケを提案する 会社を辞めたからリスケがしやすい 最近ハンバーグが作りたいけど、知り合いが連日ご飯を奢ってくれた(ありがと) いつもお腹いっぱいに食べて家だと冷奴しか食べれない ハンバーグ用に買った美味しそうなチェ

        • 何事も、八分目が良いな

          お酒を飲みすぎたときにいつも思うのだけど何事も八分目がいい。 私は今日、いつもより一杯多く飲んだせいで気持ちが悪い あと酔っ払うとタバコを吸う 吸いすぎるいつもそう、いつも。 腹八分目が適切というはもはや人生の教訓にすら思えてくる。 食べ物もお酒も人との距離も、八分目でおさえることが一番幸せな気がするな。 分かっているのに、なぜだか欲張るしその時の欲を満たすために十分目に到達したがる。 人は往々にして、賢くない。 あー、今現在(2023年9月24日02:07)頭が

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        フラストレーションは文字に溶けていく

          限りなく透明に近いブルー

          THE文学。村上龍の細やかで、グロデスクで、容易に非現実的な情景がイメージできてしまう文章や表現に心が打たれる。(なにより20代前半でこれを書き上げた衝撃が走る) 社会が生き生きと動き続けるそのほんの少し軸がずれた点の上では、主人公が"若さ"なのか徐々に自覚していく自身の"違和感"なのか、そういったものから抜け出せずに堕落と失望の中で安寧を求めてもがき続ける。そういう物語。 高校生の頃に初めて手に取って、そこから毎年ピークで気温が上がる時期に開く一冊。私にとっての村上龍デ

          限りなく透明に近いブルー

          すべての男は消耗品である

          私のような、細胞レベルで村上龍作品が好きな人間は大いに笑えるエッセイ 常に痛快でテンポが良い 普通に生きていると ここまで(いわゆる)悪口を公にするのは難しい 村上龍がいかに"変"なのかを徹底的に裏付けている 本当にどんな人生をこの人は送ってきたのだろうと考えることまでが楽しみ方のセットなのかもしれない  本書はタイトルの通り、男が消耗品であるということを断定し、逆説的に女についても述べている  良い女とか、馬鹿な女とか、その手のこと  そしてげんなりした気持ちを鼓舞す

          すべての男は消耗品である

          往々にして、人を語る

          私も、私の周りも、人のことをよく語る。パーソナルな間柄の人についても、パーソナルとは言い難い間柄についても、人を語る。 "往々にして人を語るということ"もっと正しく、ユニークに私は人を語りたい。それはある意味リスペクトでもある。そのような語り方をされた時の誇らしさを私は知っているし、その誇らしさは私のアイデンティティをブーストする。私が語りたいと思うべき相手には同じことを感じて欲しい。 先日、「辺境・近境」を何気なく手にとった。写真からも一種のテレパシー(まるで同じ体験を

          往々にして、人を語る

          生まれる 埋もれてみる

          結局のところ革新的な何かは日々の生活から生まれるものだと思うと、言い続けている 当事者の推し量りようのない気持ちとかそういったものは置いておいて、例えばエッセイ作品なども分かりやすい 向き合った日々の中から価値が生み出されていくのなら、時速140キロで走るドイツのタクシーより(もしくはそれ以上に)体感が速い20代の今だからこそ止まってみることも勇気なのだと思う 一度の深い呼吸をし、時間を愛でる  同時に酸味の効いた浅煎りのコーヒーとハーゲンダッツのマカダミアナッツ味がある

          生まれる 埋もれてみる

          ほっかほかの気持ちのまま、感想

          【君たちはどう生きるか】 観てきた、今。 例に漏れず、文字通り一切の予備知識を入れること無く。 いわゆるネタバレはタブーなのでストーリーには触れるつもりはない。 あくまで委ねられたアート、 そして委ねるアートについての感想を個人的に書こうと思う。 今回プロモーションのおかげで、やけに考えながら作品を観なければいけない姿勢になる。(視聴者が勝手にその空気を作ったのかな ジブリだからね) 何だかそれをしないことがマナーから外れてしまうみたいな。分かってはいたけど、うまい

          ほっかほかの気持ちのまま、感想

          愛すべき、不便な街と人々

          久々にヨーロッパに行ってきました。 会社に自慢気にバケーション申請をし、捻出した10日間を大事にしながらクイックに国を跨ぐために選んだ3カ国はベルギー、ドイツ、フランス。 今回の旅行で一番印象に残ったのはそれぞれの国の映画の中のような街並みでも、美しすぎるアートや建築でも、ほっぺが落ちるほどのご飯でもなく、 限りなく愛らしくて温かな人たち。 なんだかブログみたいな出だしに気合が入る。 気持ちをペインティングみたいにポップな感じで可視化しておきたい。 よし、Let's g

          愛すべき、不便な街と人々

          言葉にできたら、欲望

          PMSが年々酷くなる 本当に酷い  誰かに忍耐のバケツを小さいものにすり替えられている 電車で私より後に乗ってきた人が椅子に座ったことで私は降りる駅までずっと立ったままでいなきゃいけないとか、猫が家の中でいたずらしているとか、同居人が私の美容品を使うとか、メールを返さなければいけないとか、そういうしょうもないことで泣きそうになる それはもう堪らなくだ というか泣いている 会社の全員が帰ったあとの更衣室や、まだ誰も返ってこない家での時間や、静まり返っている屋上で 呆れる そ

          言葉にできたら、欲望

          呼吸や足取り

          呼吸や足取りには、 ありありと日々の気持ちが反映されている  私は美しさを平時に見出していきたい 気を抜いているときさえ軽やかな呼吸と足どりでありたい そうでもないと、オーロラを見ない限り涙を流せないような悲しい人になってしまう

          呼吸や足取り

          重ねる

          私が固めあげた、誰かの・何かの真似をし続けるハリボテのような哲学は、季節が変わっていくみたいに、あっという間に死んでいく 人生を送る中で、とてつもなく悲劇的なこと。 私はこの中身のない哲学により、なんとか人生に均一性を持たせている これはさらに悲劇的なこと。 もとより哲学とは机上の空論であることが多いとは思うけど

          重ねる

          僕たちはどう生きるか

          かれこれ本は些細なことがきっかけで中学2年生の頃から読み続けているのだけど、実はTHE研究者の書籍については初めて読んだ(元より、小説や、小説について回る作者の宇宙が好きなので) 新しく手を取った分野の書籍には私の期待する宇宙は存在しないが、私(私たち)が意識していないところでありありと存在しているものを端的に、ロジカルに語りあげる面白さがあった。知らないことを知る入口に触れるような、探究心を満たすような、子ども心(何も知らないという意)をくすぐるような、少なくともそういっ

          僕たちはどう生きるか

          森が木を隠すように

          誇張された大きさは物事の本質を隠す 逆説的にこれがミニマムが美しいと言われる本質であれば、納得がいく

          森が木を隠すように

          何者かの定義は比べ続けた結果なのかもしれない。

          自己が自己であることを認識するために、私たちは比べ続ける 比べて初めて何かが掴める瞬間を私はたくさん知っている 比べ続けるという事、特に他者と比べ合う事には想像を絶するエネルギーを要する   何者かである人は、結局は比べ続けた人

          何者かの定義は比べ続けた結果なのかもしれない。