愛すべき、不便な街と人々

久々にヨーロッパに行ってきました。

会社に自慢気にバケーション申請をし、捻出した10日間を大事にしながらクイックに国を跨ぐために選んだ3カ国はベルギー、ドイツ、フランス。

今回の旅行で一番印象に残ったのはそれぞれの国の映画の中のような街並みでも、美しすぎるアートや建築でも、ほっぺが落ちるほどのご飯でもなく、
限りなく愛らしくて温かな人たち。

なんだかブログみたいな出だしに気合が入る。
気持ちをペインティングみたいにポップな感じで可視化しておきたい。
よし、Let's go

この話をしていく前提として伝えたい。
私は東京が好きだ。

表面的だと思うかもしれないが基本的に全部が住みやすく、便利に生きるためにオーガナイズされている。セーフティー及び治安、清潔さ、カスタマーサービス、人々が当たり前に身に付けているマナー、食文化のダイバーシティ、インフラ。これほどバランスが取れた都市が他にあるのか分からない。

根底には、日本人ならではのおもいやり的な精神があると思っている。生活する人達、訪れる人達のことを思った設計がハード、ソフトの様々な側面から当たり前に私の年齢より長い時をかけて設計されている。

結果的に私たちは、極論だが1人で生きていけるようになっていると思う。
健康な体で普通に暮らしていれば、大変なストレスもかからず、誰かの力を借りることもなく、スマートな感じで。

いやいや、他にも整った都市はあるでしょうと思う人に今回私が赴いた場所を、東京と同じ"シティー"として簡単に比較してみて欲しい。そして比較する都市は先進諸国ということも念頭に置きながら。どれだけ私たちの住むところは環境が整っているか用意にイメージがつく。



【ドイツ】マインツとフランクフルト

毎日のように電車が遅延する。駅で降ろしてくれることもなく途端に電車が逆走したこともあった。
急いでいればいるほど、アテにならない電車の代わりにあれよあれよと嵩むタクシー代。インフラも整っているとは言えない。どの電車も鉄道も切符制度はあるのだけど、改札という概念がないので正直買っても買わなくても良い。どうやら時折駅員に確認されて切符がなければペナルティを払うとか。詳しくは調べて欲しいけど、トランスポーテーションは日々そんな感じ。
そしてドイツ滞在中に素敵なおじさまが貸しだしてくれた、これまた素敵なフラットの玄関はぶっ壊れているので毎日体当たりで開閉及び入退室。

公園でスパークリングのリンゴジュースを飲んでいたら、
一緒にブレイクを取りに来たおじちゃん フランクフルト


【ベルギー】ブリュッセル

ベルギー最大観光地の、その名も道がでこぼこブリュッセル。隣り合う国からのハブになる大きな駅ですらロッカーは手薄。唯一空いていたロッカーはやはりぶっ壊れている。(だから空いてたのか…)
仕方がないので一歩でも気を抜けば転んでしまいそうな舗装のされていないでこぼこ道を、約15キロのスーツケースと共に何時間も歩き続けた。おかげで小便小僧と撮った写真の私は、ひどく不機嫌な顔をしている。
カラッと晴れるヨーロッパ特有の夏のファビュラスな天候が、この日だけ体力の消耗を手伝い憎かった。街のコンパクトさだけが観光客には唯一の救い。

ベルギーへ向かう途中
奥の軽食ができるカウンターではペリエの発音をフランス人に教えてもらった フランスの発音って、音楽みたい


【フランス】パリ
今回一番滞在期間の長かったのはパリ。上を向けば植木鉢からポタポタ滴る水が顔にかかる。これこれ、これがパリの洗礼!と苦い顔をする。山手線みたいな感覚であるメトロにエスカレーターなんてものは無い。トイレも綺麗なわけがない。ACもない。見上げるような高さのビルだってエレベーターがない。なぜかthe観光客が降りるための駅にも券売機は2つしか無く、切符を買う為に長い列を成し全員20分ほど待つ。日本の普通の券売機ですらデジタライズされすぎ、、と驚いてしまうほどに動きがスローリーな券売機にはうんざり。
ホテルについてるドライヤー、当然のようにぶっ壊れてる。(旅の終盤、何が壊れていたって驚かない)
いわゆるパリ人は英語を喋るスキルはあるけど喋らない。これはもはや観光の醍醐味の一つ。こちらもハイプライドを胸にコテコテの日本語で喋ってあげよう。そして今回はたまたま遭遇しなかったけど頻繁に繰り広げられる怒りのデモも一つの文化。交通機関が止まるのだから、見て見ぬふりは難しかったり。

パリ中心部から少し外れたところにあるブローニュの森
ここを抜けるとフランク・ゲーリー建築の
フォンダシオン・ルイ・ヴィトン


こんな感じ。
生活をする上での様々な快適を知っているからこそ、書ききれないほどの不便さが身にしみる。


【不便な街を、愛すべき理由】

結論、私がこの数えきれない不便さを愛したい理由は、そこに住む人たちや出会った人たちが、どこまでもチャーミングだったから。
冒頭で記したようにこれが今回の旅行で最も私に印象的だったことだ。

1 [息をするみたいに始まるコミュニケーション]
スーパー、タクシー、レストラン、ホテル、カフェ、どこだって繰り広げられる。目が合えばウインクや笑顔。あまり面白くないグリーティングがてらの冗談。


2 [街に足りないものは、人が補い合う]
スーツケースを持ったまま移動してるとき、運ぶのがタフなシーンでは近くに誰かがいれば確実に手を貸してくれる。この旅行で何度「助けがいる?」の声をかけてもらったことか。


3 [書ききれない程の、旅を彩ってくれた人たち]
ベルギービールを奢ってくれるレストランのオーナー。珈琲サービスするから皆で喋ろうぜと本当にサービスしてくれたホテルのフロントマン。なぜか働かないでずっと会話に参加してくるファイブガイズのスタッフ。具材の入れ忘れを言いに行ったらモリモリのトッピング追加だけでなく珈琲をポケットマネーで奢ろうとしてくれた愉快なサラダバーのスタッフ。コテコテのフランス語に困憊してたら後ろで一緒に笑ってくれるサラリーマン。


こんなに愛くるしいことが毎日起こっている。
日本に帰国した初日に感じた違和感は、この人臭くて愛くるしいコミュニケーションがどこにも無く、それが当たり前であることだ。私は行きより重くなったスーツケースを1人で運び切って家に帰った。
無事に運び切れたことがすごく悲しい。 



【住みやすさって、何で測る?】

基本的に東京が好きと言っている通り、
シティーが好き。
仕事もアートも食事もファッションも感度の高いものが集まる。常に世のキャッチアップに欲張る26歳の私には、なんだかんだすごく合っている。
そしてシティー(特に先進国)は、大きな力で全てが便利にオーガナイズされていると思っていたし、
それはシティーがシティーであるための条件だと思っていた。
この定義は、今回の旅行で正直かなり裏返された。住みやすさは、整った環境ばかりで測ることは私にとっては不正解だと知った。

たしかに今回訪れた場所も感度の高い物がコンパクトに集まっている。まずはその点がお気に入り。でもどうしたって、用意されている環境は思っていたよりも不便で、その不便さをローカルな人たちの人間性でなんとかコントロールしていた。
東京で感じることのない愛しさで満ちている。

もちろん良い面ばかりをお持ち帰りしている部分はあるが、少なからず自分のこの感覚に確信を持って良いのかが気になる。従って一年ほどヨーロッパに住むかすごく悩んでいる。仕事もちょうど転職のタイミングを迎えた。誰かに"今だ"と囁かれている気分。どこかのタイミングで次に勤める会社にフルリモートを打診し、円安が痛いけどノマド的な感じで働くのも悪くない。(決して海外の日本食レストランでバイトしたいとかではないので…)

何より20代のうちにこの不便な街と、時々だらけていたり不服が思いっきり顔に出てしまうようなハイメンテナンスで、とはいえすごくチャーミングな人々をひっくるめて丸々愛してみたい自分がここにいる。丸々愛する自分を想像すると、かなりワクワクする。


近いうちに、またどこかに出向こう。
コロナを言い訳に外に出なかった四年間は憎いが、この四年で築いた思考や経験と共に飛行機に乗ったことによりもたらされたものが、あまりにも大きい。

私の人生の中での刺激は、いつだって誰かにもたらされている。あなた方が気付いているかどうかは知りませんが。



『そんな風に語らずに理解し合たって何処にもいけやしないんだ。』 1973年のピンボール  -村上春樹-

私が東京に望む言葉。



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