マガジンのカバー画像

エチカの湯

24
こちらでは長めの文章で大きなテーマを書きます。連載も企画中。
運営しているクリエイター

#エチカの湯

自分の部屋に回転寿司をひきたい

自分の部屋に回転寿司をひきたい

私は生命線が短い。

占いに行ってもよく言われる。むしろ行かなくてもわかるくらいには、自分の生きるエネルギーが少ないことを自覚している。

早死にするかどうかはわからないけれど、特に長生きしたいとは思っていない。ごはんをたくさん食べすぎると、すぐ消化しきれずに胃腸から調子を崩す。スケジュールがつまりすぎていると、休む時間が足りなくてメンタルも崩れ、体もあちこち痛くなって、とんでもないことになる。

もっとみる
思考のダンス

思考のダンス

25歳になり、メモ魔になろうと決意した。

普段、仕事でもメモを取るには取るが、必要最低限の方がいいと思っている。メモを取ることに集中しすぎると、人の話を聞いて心が動いたことを忘れてしまうので、あとで印象に残りづらい。なるべく、感動しながら話を聞いた方が、心震えたポイントが最重要だと分かり、自分がアウトプットするためには役立つ。

メモ魔になろうと思ったのは、仕事というよりはプライベートでのこと。

もっとみる
たまにいく喫茶店の

たまにいく喫茶店の

たまにいく喫茶店の、素敵なジャズが流れているオーディオ。もしもそうだったら面白い話。

私が以前バイトしていた書店では、年に2回ほど、期間限定でオーディオの販売をしていた。

値段は忘れたけれど、とんでもなく高級なオーディオで、お金持ちそうな老夫婦なんかが購入を決めて、少しだけ売れていた。

メーカーの人がレジ横に立って、実際の音楽を流しながら丁寧に販売をしていて、その期間にはいい音楽を贅沢に聴き

もっとみる
なりたい私になりたい

なりたい私になりたい

5/26に書いていた文章を後出し。

久しぶりにnoteを書く気持ちになった。

どうやら、やりたいことを決意する時にnoteに宣言する癖がある。昔から、日記を書くぞとなったときには、やりたいことを書く。他人のやりたいことって、1番興味無い。結果、読むに値しない、つまらない文章になってしまう。

日記であっても、アウトプットとして書く限りは面白いものを書きたいじゃないか。

どうにかして、ここでは

もっとみる
記号としての「朧月夜」

記号としての「朧月夜」

久しぶりに何か書かなくては、という気持ちになり仕事終わりにサンマルクカフェに寄ってパソコンを開いている。家に帰宅したら、眠ってしまうとわかっているから。

ちょうど桜が満開で、今日は綺麗な満月が浮かんでいる。朧月夜とは、春の夜にしか使えない言葉ということを知ってから、なるほど、言葉とはルールに則って使われる、制限付きのものだなということを改めて感じる。とても不自由だ。

しかし、「朧月夜」という言

もっとみる
視線を向ける先

視線を向ける先

SNSを断つと、時間と心に余白が生まれて、もどかしい思いと豊かな思いが半々である。

もどかしいのは、すぐに伝えたいことがたくさん浮かんでくるのに、発せない。癖として、思考回路がすぐに答えを出すようにできており、考えたことは瞬発的に世に出したくなる。これも現代病か。

豊かな思いとは、時間的な余裕と共に、不便さを味わう心が生まれる点にある。

まず気になったのは、自分の視線をどこに向けるかという問

もっとみる
大地を掴んで歌う人

大地を掴んで歌う人

はだしで歌うのか!

ステージで準備をしている野山さんが、おもむろにはだしになり始めたので驚いた。華奢な体にレースのガウンを羽織り、軽快な服装。

この日初めてお会いした野山さんの歌は、かれこれ半年ほど聴き続けていて、ずっと生で聴くことを切望していた。関東にLIVEに来るときには絶対に!と思っていたので、彼女の関東初LIVEに行けたことがとても嬉しい。

歌が始まると、私は泣いてしまった。

色ん

もっとみる
哲学者はいつも不器用

哲学者はいつも不器用

自分が哲「学者」だとはおこがましくて、言えない。

大学4年間で哲学の入り口をちらりと垣間見ただけで、ただ考えるのが好きなだけだ。

でも体質として哲学的ではあると思う。

哲学者はみんな不器用なんだな、と思っている。

いかに生きるか。自分の目指す生き方に実は囚われていたりもする。自由を唱えた哲学者も、自由に生きることに囚われる。考えは変わっていくと唱えたとしても、変わっていくことを常に見つめる

もっとみる