二見の堅塩づくりの起源「堅田神社」 ことの葉綴り 九四九回
温かくして温活を
おはようございます。一気に気温が下がり、秋ですね~。旅の移動しながら、時間を見つけて「ことの葉綴り」に向かっています。
さて、十月六日の暦は、六曜は「先勝」で、午前が吉。先んじることで幸を勝ち取る日。十二直は「危」は、物事を危惧する日。何ごとも控えめがよし。とはいえ、婚礼などのお祝いごとは吉。二十八宿は「奎」で、祭祀、建築、婚礼、旅行、植木の植え替えに吉です。
気温差もあります。温かいお茶で一息して温活を。どうぞ、お身体ご自愛くださいね。
二見浦 聖なる堅塩
さて、天照大御神さまが伊勢の神宮にお祀りされるまでの、倭姫命さまのご巡幸の物語を、ずっと綴っています。
『倭姫命世記』によると、倭姫命さまご一行は、天照大御神さまの、「神風の伊勢の国に居たいと欲う」というご神意にそう宮処を探し求め、宮川の上流へ、そこからまたそして、大若子命より、「五十鈴の川上に、佳きところがあります」と、伝えられたことで、宮川を下り、鷲取の小浜(大湊)から、伊勢湾に出て、五十鈴川へと入られるときに、五十鈴川の河口の二見の浜へ出られました。
二見というと、夫婦岩が有名ですね。
今回は、その二見浦の倭姫命さまの伝承地を巡りのご紹介です。
前回十月五日は、伊勢の二見の「御塩殿神社」でとりおこなわれる「御塩殿祭」をご紹介しました。
これは、伊勢の神宮の神嘗祭をはじめとするご神事で、神さまにお供えする「堅塩」を焼き固めるご神事です。
ちょっと物語を見てみますと……。
佐見都日女命の堅塩
そうして倭姫命さまは、二見の浜で御船を留められたときに、大若子命に、その国の名を尋ねると、「二度もご覧になるほど美しい二見の国」と教えられます。
「浜参宮」として有名な二見浦は、今も、白砂松林の海岸がつづきます。
五十鈴川は、二見を挟むように東西に分かれて伊勢湾に流れていることからも「二水(ふたみ)」ともいわれるそうです。
倭姫命さまが、この美しい景勝地ゆえ、やはり二度御覧になったとも、されています。
さて、この二見の地で、倭姫命さまを出迎えていたのが、この土地の神、佐見都日女命さまでした。
倭姫命さまは、国の名を尋ねるのですが、佐見都日女命は、耳が聞こえませんでした。
何も答えられなかった佐見都日女命は、そこで堅く焼き固めた塩を奉りました。
倭姫命さまは、この誠の心を慈しまれて、「堅多社」をお定めになりました。このとき、大若命は、この浜を御塩浜として、このあたりの山を御塩山と定めたのです。
清浄なる御塩が、倭姫命さまのころから、焼き固める製法があったのですね。
二見の御塩づくりの起源「堅田神社」さん
さて、この「堅多社」とされているのが、「堅田神社」さんです。
JR参宮線「二見浦駅」から歩いて5分ほど。住宅街にご鎮座されています。
夫婦岩の「二見興玉神社」さんには、何度もお参りしていますが、こちらの「堅田神社」さんへのお参りは初めてでした。
二見浦駅から、国道42号線の分岐点を、二見浦の方へ左折して100㍍ほど。
音無山の麓、伊勢市二見総合支所の向かいの住宅のお隣に、細い道があり、その先に、神宮の目印の参道入り口を発見!
小さな石碑もありました。
そこからは、一気にご神域へと気が変わります!
鎮守の杜の林の参道には、朝日が降り注ぎます。
木立の間から、神明造りの拝殿が見えてきます。
そして、しばらく歩くと、まだ新造されて新しい鳥居!!
御覧ください。
この朝日に照り輝く美しい拝殿!!
ご祭神は、この土地の神さま、佐見都日女命さまです。
この佐見都日女命さまが、倭姫命さまと出会われて、堅塩を奉ったことが、伊勢の神宮へ、ご神事のために御塩づくりをする起源となったのです!!
この御塩づくりは、今も、「御塩殿神社」「御塩浜」で、古来からの方法で続いているのですね。
古くて新しい……生きている神話、伝承……の始まりのお宮です。
清清しく、そして優しく心鎮まるお宮でした。感動~嬉しい。幸せ💛
―次回へ。
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