氣比神宮の由来 長命水のご神水 神功皇后十六 神話は今も生きている ことの葉綴り六一七
二十四節気「立冬」
おはようございます。秋晴れが続き、樹々も色づき美しいですね。
週末の神社は、七五三の晴れ着姿のお子さんたちと、和装の挙式がおこなわれていましたよ。
でも暦の上では、二十四節気の冬が立つ「立冬」となりました。木枯らしも吹き始める季節の到来。
皆さん、お元気でお過ごしでしょうか?
暦では、十一月七日(日)六曜は「赤口」昼前後が吉。
十二直は「成」。新たなことを始めるのにいい日。婚礼、種まき、引っ越し、旅行、建築、開店、開業に吉。
二十八宿は「昴」で、神仏詣で、お祝い事、婚姻、新たなことに吉!そして、「神吉日」も、ご神事に関すること、神社の参拝や、ご先祖をお祀りすること。お墓参りに吉。
季節の節目の二十四節気も、お参りにいい日!
温かくしてお参り出かけませんか?
<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体のご紹介は、こちらをどうぞ。
600回の節目に、まとめてみました。
<神功皇后、これまでの物語>
神功皇后さまの御子の品陀和氣命さまは、誕生前に「皇位を継ぐ太子」とご神託をうけていました。
重臣で、審神者の建内宿禰は、忍熊王との間に、皇位継承問題がおきたとき、「御子は亡くなった」と、“死人”と偽ったことでついた、幼い御子品陀和氣命の“穢れ”を祓うために、共に禊の旅へでました。
やがて、高志国(越前国)の角賀に、仮の宮殿をつくり、禊をおこなったところ、建内宿禰の夢に、土地の神、伊奢沙和氣大神命が現れ、「我が名を、御子の御名と取り替えたい」と、ご神託が降りました。
禊の旅の終わり
建内宿禰は、ありがたく畏み、御名を取り替えたところ、翌朝、浜辺に、入鹿魚(海豚)が、うちあげられていました。神さまから、御子の品陀和氣命さまへの贈りものだったのです。
「大神さまの食料を、私の御食(食事)のためにくださったのですね。大神さま『ありがとうございます』」
土地の神、伊奢沙和氣大神命さまに、手を合わせて感謝する幼い御子の姿に、建内宿禰は、安堵していました。
これで、御子の禊も無事に終えることができた……。
旅を続け、心身を浄める禊をおこない、そして神さまの名前を授かった。
これは一つの“成人儀礼”であり、禊がすでに終わったということを意味していたのです。
新たな神の名は、御食津大神
こうした経緯があって、この土地神は、御名を讃えて、御食津大神と、名付けられました。
こちらの大神さまは、今は、氣比大神(気比大神)と、おっしゃいます。
これ以来、この地域から、朝廷に、魚や魚介類、塩などの御食(食事)が、献上されることになったそうです。
また、このころは、入鹿魚(海豚)を捕るのに、鼻を傷つけたようです。ちょっとかわいそうですね。
この傷ついた入鹿魚(海豚)鼻の血で、その浜が匂ったことから、この浜を「血浦」というようになしました。
今は、津奴賀(角鹿)と呼ぶようになった……とあります。
御食津大神をお祀りする「氣比神宮」
この神話で、夢に現れてお名前を取り替えた御食津大神さま、こと氣比大神(気比大神)さまも、今もなお、お祀りされていますよ。
福井県敦賀市にご鎮座する、越前国一之宮「氣比《けひ》神宮」さまです。
こちらの主祭神としてお祀りされています。
地元では、「けいさん」と呼ばれ、衣食住・海上安全・農漁業・交通安全の神さまとして親しまれ崇敬されています。
ほかにも、この神話の物語に登場する、仲哀天皇さま、神功皇后さま、日本武尊さま、武内宿禰命(建内宿禰)さま、そして、この幼き御子こと、のちの応神天皇さまも、お祀りされていらっしゃるのです。
これらのご祭神をお祀りするにあたり、お宮を修繕したとろこ、突如、地下水が噴出したそうです。
この物語で活躍された、武内宿禰命(建内宿禰)が、長生きをされた神ということで「長命水」と言われ、お祀りする神々のご神徳が宿す神水として、今も、境内にあり、多くの方に親しまれているそうです。
気比神宮さまも、お参りしたいですね。
そして「長命水」もいただいてみたいですね!
神話は、今も生きている、です(^^)
ぜひ、「立冬」の季節の変わり目。神社にお参りして、神話が生きていること体感されてはいかがでしょう。
では、また次回。いつもありがとうございます。
―次回へ
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