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宇佐、筑紫、安芸、吉備へ。神武東征2 神様も“失敗”して成長した ことの葉り。百九四


東へ……旅の始り

こんばんは。お仕事を終えて帰宅しての「ことの葉綴り。」です。綴り始めの今は、まだ夕暮れ前の空が窓から見えています。

神話『古事記』の中つ巻の物語が、前回から始まりました。


高天原から天降られて、豊葦原中つ国を統治された
邇邇芸命(ににぎのみこと)さま。
その御子、火遠理命こと山幸彦さま。
その御子の鵜葺草不合命さま。
そしてその御子の末っ子、神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこ)と、長男神の五瀬命(いつせのみこと)さまは、
日向の国から、天下を、さらに国全体を安らかに治めようと、
東へと向かい旅立ちました。

日向(鹿児島と宮崎県)から、九州の北の筑紫(のちの筑前筑後)へ向けて、船で出発したのです。
一行は、九州の東海岸の太平洋の海原を北上していきます。

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宇佐での歓待

何日かすると、豊国の宇沙(大分県宇佐市)近づいたところ、
浜辺で人々が手を振って出迎えています。

一行は、宇佐の岸に船を止めて降り立ちました。

この宇沙の地に暮らす、宇沙都比古(うさつひこ)と、宇沙都比賣(うさつひめ)の兄弟と、その土地のものみなが、嬉しそうに出迎えています。

ようこそ。
高千穂の宮の日の神の御子さま。
わたくしはこの地に暮らす宇沙都比古と、宇沙都比賣と申します。
御子さまをお迎えするために、宮殿を建ててお待ちしておりました。酒宴の席もご用意しております。
どうぞ、ゆっくりとおくつろぎください。
わたくしたちは、命さまの臣下としてお仕えいたします。

おどろくことに、立派なお屋敷を建てて、
お酒やご馳走も準備をして
天孫の御子たちを歓待してくれたのです。

神倭伊波禮毘古命さまたち一行と、宇沙の人々が
共に集っての酒宴が盛大に開かれました。

御子さま。
これから向かわれる東の地には
荒ぶる神々が多いといわれております。
けれど、きっと天孫の日の神の御子さまに
ひれふすでありましょう。

宇沙の地で、歓待を受けて、人々と交流を深めて、
旅の疲れを取ったあと、
神倭伊波禮毘古さまたち一行は、再び船出をします。

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筑紫で一年、安芸、七年、吉備は八年!

北上して、次に、筑紫国(福岡県)に向かいました。
筑紫の岡田宮というところに、今度は、一年間留まりました。

一年後、再び、出発!
船は、太平洋から瀬戸内海へと入って、東へと向かっていきます。
そして安芸の国(広島県)の多祁理宮(たけりのみや)に入られました。
その土地の豪族と交流をしながら、この多祁理宮には、
七年間も暮らしていたのです。
古のことです。九州と中国地方では、風習や暮らしぶりも違ったのかもしれませんね。
太平洋の海原と、瀬戸内海では、海の幸も違うでしょうね。
海の幸も、山の幸も、それぞれの土地のものがありますもんね。
その土地土地で、宮を建てて居を構えて、実際に暮らしてみる。
そして、地元の人々と触れ合い、互いの暮らしぶりを、”情報交換“し、馴染ませていったのでしょうね。

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そして七年を経たあと、船が再び出発をして
神倭伊波禮毘古いっこうは、瀬戸内海を東へ進みます。
次に、降り立ったのは、吉備(岡山県)の高島宮へ入られます。

なんと、ここには、八年もの間、暮らされたのです。
この吉備でも、地域を統治する豪族たちを、配下へと組み入れていきます。

すでに日向を旅立ってから、十六年が過ぎていました

とっても、のんびりに感じますよね。

神さまと、人間の時間の流れ方は違うのかもしれませんね(笑)。

ここまでは、東へ向かう旅は、順調そうです。

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―次回へ。

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