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「倭姫命大悦給天」試練から喜びへ 倭姫命版ヒーローズジャーニー27ことの葉綴り九九五

満と房の吉日

おはようございます。にわか雨から曇り空の朝。
なんだかぼんやりしています(笑)
十月二十日(日)の暦は、六曜は「赤口しゃっこう」で、お昼前後が吉。十二直は「みつ」で、すべてが満たされるとされる日。ただし控えめにして吉。祭祀、お参り、婚礼、お祝い、引越し、旅行、建築、種まき、新たなことはじめ、どれもよし。二十八宿の「|房<ぼう」」も大吉日で、ご神事や仏事、お参り、婚礼、開店開業、引越し、旅行、建築、衣服の新調、そして、ご神事やお参り、ご先祖供養によしの「|神吉日」です。
ちょっとのんびり、お参りもいいですね。

明治神宮

倭姫命版ヒーローズジャーニー27

伊勢の神宮に天照大御神さまがお祀りされるまでの物語。大神さまのご神意のままに祭祀をしながらご巡幸された倭姫命やまとひめのみことさまの『倭姫命世記やまとひめのみことせいき』をもとに、この旅を、神話の法則「ヒーローズジャーニー」として、読み解いています。

「英雄は旅立ち、成し遂げ、生還する」
この段階は、「①分離 → ②移行 → ③ 統合」という流れになっています。

この過程は、人の内面的成長、癒しのプロセスでもあります
神話の法則における、英雄の旅は、仲間や賢者とともに、未知なるもの(敵)と戦い、怖れに向き合いながら成長して乗り越えることで、真の力を得て、「英雄」へと変容するのです。

大和国→伊賀国→淡海(近江)国→美濃国→尾張国→伊勢国へ。
伊勢の国の中でも、宮川の上流、南伊勢の嶮しい山中へとご巡幸を続けられ、天照大御神さまが永久にお鎮まりになる聖地を探し求めますが、佳き宮処は見つかりません。
 
このご巡幸の物語において、伊勢の国に入るまでも「荒ぶる神」との「対峙」がありました。
一方、伊勢の国での、困難さは、目に見える“敵”ではなく、目的が果たせない辛さ、見つからない、どうしたらいいかの困惑。
「ここはよい」と思ったものの、天照大御神さまから「ここではない」というお告げを受けての、落胆、侘しさ……まさに、外的な挑戦というよりも、内面の旅の苦しさ、トンネルから抜けられないような感覚、夜明け前の暗さが伝わってきました。
しかも、もっとも信頼している旅の“相棒”が不在だったのです。


川原神社


 

嬉しい報告に倭姫命さま大喜び!


 
けれど、地元の神々との出会いや交流はありながら苦しい旅を続けられていました。
宮川の下流へと向かい、ようやく、“相棒”の大若子命おおわくごのみことが、御船で、倭姫命やまとひめのみことさまを出迎えたのです。
 
ちょっと、『倭姫命姫命世記やまとひめのみことせいき』のくだりををご紹介。

 
干時、倭姫命大悦給天、大若子命問給久、
「吉宮処在哉。」
 
白久、「佐古久志呂宇遲之五十鈴河上尓、吉御宮処在」白支。
亦、悦給天問給久、「此国名何。」
 
「御船向田国。」白支。

 
鎌倉時代に編纂された『倭姫命世記』からも、倭姫命さまが、どれほど大喜びされたかが伝わってきますよね。
 
まず、“相棒”がお迎えに来てくれたことと、再会の喜び、安堵感もありますね。
また、お迎えに来たということは、天照大御神さまのお鎮まりになる佳き聖地の候補を見つけたのでは? という期待もあります。
 
そこで、すぐに、大若子命おおわくごのみこと「時に、佳き天照大御神さまの佳き候補地はあったのか?」と、お尋ねになりました。
 
大若子命おおわくごのみことも、
「はい。宇治の五十鈴川の川上に、き御宮処がございます」
と、答えました。
 
倭姫命やまとひめのみことさまが、さらに喜ばれて、「その国の名前はなんていうのだ?」と、問われます。
 
読んでいるだけで、倭姫命やまとひめのみことさまが、大喜びされて、表情も明るくなられていく様子が、“ライブ”のように伝わってきませんか?(^^)

伊勢の神宮 宇治橋



 
さあ、倭姫命やまとひめのみことさまは、出迎えた“相棒” 大若子命おおわくごのみこととともに、ここから御船に乗船されて、宮処の候補地、五十鈴川の川上へと向かうことになるのです。
 
困り果てて苦悩され、侘しさを感じられていた「試練」の段階を、乗り越えられたようですね!


 
―次回へ

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