見出し画像

母 娘 孫 三代続いた伊勢の神宮「斎王」 ことの葉綴り 九二六回

己巳の日+成

おはようございます。秋の空がとっても美しいですね。九月十三日(火)は、金運招来の「己巳つちのとみの日」巳(へび)は、山の神・水の神で、白蛇は弁財天さまのお遣いで、財運によい日。特に六十日に一度の「己巳つちのとみの日」で縁起もよく大吉日!
他の暦は、六曜は「先勝せんしょう」で午前が吉。急用によし。先んじることで幸を勝ち取るとされる日。十二直は、物事が成就する「なる」新たなことをスタートするのにいい日。開店開業、種まき、建築、引越し、旅行、婚礼によし。二十八宿は「」で、お稽古始め、仕事始めに吉。そしてご神事やお参り、ご先祖供養によしの「神吉日」です。
己巳の日、弁財天さまへのお参りいかがでしょうか。(今朝は遠出するので短めです。ペコリ)


母から娘、孫へと継承された斎王いつきのみこの大役

天皇に代わり、伊勢の神宮で天照大御神さまにお仕えする、歴代の斎王いつきのみこの中には、悲劇や数奇な運命を歩まれた皇女もいらっしゃいました。

斎王いつきのみこから皇后になられた井上内親王いのうえないしんのうさま。
皇位継承の権力争いの渦に巻き込まれて、天皇を呪詛で殺そうとしたと大罪をきせられて、皇位剥奪、不慮の死、その後起こった転変地位により「祟り」と恐れられ、皇后に復されて、御霊神社本宮にご祭神としてお祀りされました。
この井上内親王いのうえないしんのうさまの皇女酒人内親王さかひとのないしんのうさまも、母と同じく、幼くして伊勢の神宮の斎王いつきのみことなりますが、母と弟の死によりすぐに都に戻ります。
そして、母と同じく、皇子の妃となりました。
けれど、夫である山部やまべの親王(後の桓武天皇)は、父、光仁こうにん天皇の異母兄で、母と弟を滅ぼした側でした。
酒人内親王さかひとのないしんのうさまは、山部やまべの親王(後の桓武天皇)の第一皇女朝原内親王あさはらないしんのうをお産みになられました。

斎王いつきのみこだった井上内親王いのうえないしんのうさまが祖母、
その娘でやはり斎王いつきのみこ酒人内親王さかひとのないしんのうさまを母に持つ、朝原内親王あさはらのないしんのうさまも、七ハ二年、四歳と幼くして、「卜定ぼくじょう」により伊勢の神宮の斎王いつきのみこに選ばれます。
ここに、母、娘、孫と三代で伊勢の神宮の斎王いつきのみことなったのです!!

七八五年、朝原内親王あさはらのないしんのうさまは、幼くして母の酒人内親王さかひとのないしんのうさまと別れ、伊勢の斎宮へと入られました。

そして、七九六年まで、天照大御神さまにお仕えし祭祀を執り行われる斎王いつきのみこお役目を全うされたのです。そして……。

―次回へ

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?