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斎王稚足媛(わかたらしひめ)の悲劇 雄略天皇二六 神話は今も生きている ことの葉綴り八二〇

明日の新月に向けて

おはようございます。五月最後の日曜日。二十九日の暦は、六曜は「友引」で朝と夕が吉。何事も勝ち負けのないとされる日。十二直は、障害を取り除く「のぞく」。お掃除、種まきに吉。薬の飲み始めもよし。二十八宿も、治療始めによい「せい」で祭祀、お参りに吉。そして、ご神事やお参り、お墓参りにいい「神吉日かみよしにち」。
明日三十日(月)は、新月+暦も吉が重なるので、そこに照準を合わせて、今日は心身のデトックスをしたり、ちょっとのんびりと体を休息させながら、願いや目標を整理するのによさそうですね。よい休日をお過ごしくださいね。
今日も、神話の物語に入ります。

東京大神宮さん


斎王が身籠った?! 偽りのデマ

雄略天皇さまの皇女、若帯比賣命わかたらしめのみこと稚足媛わかたらしひめさまは、伊勢の神宮の斎王さいおうとして、天照大御神さまをお祀りされておりました。

元々、お身体の弱かった稚足媛わかたらしひめさまにお仕えしていたのが、廬城部武彦いおきべたけひこ(五百木武彦)でしたが、斎王になられて三年ほどたったころ、「斎王と武彦がデキている」と、噂が広がりはじめ、やがて、「武彦が、斎王さいおうを犯して身籠らせた」というデマが広がり、大和の宮中の雄略天皇さまの耳にも入ってしまったのです。


武彦の死

三重県の地域の豪族である廬城部武彦いおきべたけひこ(五百木武彦)の父は、この噂に衝撃を受けます。
「息子がまさか、そんなことは……」と、信じる気持ちもありつつも、一族や我が身に害が及ぶこと畏れ、自らの刃で、息子の武彦を殺めたのです。

武彦の悲報を知り悲しむ稚足媛わかたらしひめさまにも、父の雄略天皇さまより使者が遣わされて、事の真相を問いただされたのです。

「皇祖神に仕える斎王さいおうが、武彦により身籠らせられたというのは真実であるか!?」

稚足媛わかたらしひめさまは、凛と
「私は知りませぬ!」
と、お答えになられました。


命を持って潔白を……悲しいご覚悟

けれど、稚足媛わかたらしひめさまの身も心もズタズタに傷つき切り裂かれていました。
父の雄略天皇さまにも疑われたことも、悲しみを増幅させたのかもしれません。
潔白を申し立てたものの、我が身の不実を疑われたのはご自身の不徳でしかない…天照大御神さまにお侘びのしようがない……。

稚足媛わかたらしひめさまは、お覚悟をきめられると、ご神鏡を白い布に包み懐に抱かれて、人目につかぬように、ただ一人、五十鈴川の川上へと向かわれました。
そして川のほとりの土を掘ると、布に来るんだご神鏡を埋めてしまわれたのです。

その後……

「この噂は、私の命を持って潔白の証に……」と、川のほとりの大木の枝に、ご自身の腰ひもをしばられると、なんと……ご自身の首にくくられて……そのまま、ご自害してしまわれたのです……。

斎王の皇女のお姿が見えない……。

斎宮いつきのみやは騒然となります。
父である雄略天皇さまも、皇女が行方不明になたtことを知ると、昼夜にかかわらず、斎王を捜索するよう命じられたのです……。

―次回へ

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