太陽を背に受けよ 神様も“失敗”して成長した ことの葉り。百九七
退却せよ
こんにちは。日曜日の午後、まったりと「ことの葉綴り。」に向かいます。神話の物語におつきあいください。
神話『古事記』の中つ巻。
高千穂の宮から、東へ向けて旅立ち、
十六年の歳月をかけて大阪湾、河内の国へ
たどり着いた伊波禮毘古(いわれびこ)と五瀬命(いつせのみこと)の兄弟。
そこには、大和の登美(奈良市)の豪族の那賀須泥毘古(ながすねびこ)が、手ぐすねを引いて、兄弟を待ち構えていました。
烈しい弓矢の攻撃に、楯で応戦しますが、
思うようにいきません。
そのとき、勢いよく飛んできた一本の矢が、
五瀬命の腕に突き刺さってしまいました。
五瀬命の腕から、大量の血が流れていきます。
腕に矢が刺さり、うずくまる五瀬命。
傷は深く、その地は五瀬命の血で、真っ赤に染まりました。
みなのもの~
退却せよ~
船に戻るのじゃ~。
兄上~
傷ついた兄を背負い、伊波禮比古(いわれびこ)の軍勢は、
船へと退却をしました。
五瀬命に大けがを負わせ、伊波禮比古(いわれびこ)たちが
船へと退散する姿を見て、相手の那賀須泥毘古(ながすねびこ)たちは、「我らの勝ちじゃ~」と、大喜びです。
天孫の御子、五瀬命の“気づき”
命からがら、船へと戻った伊波禮比古(いわれびこ)たち一行。
そして、五瀬命は、激痛で、意識がもうろうとする中、こう仰ったのです。
ああ、伊波禮比古(いわれびこ)よ。
私たちは、天の日の大神であられる天照大御神の御子である。
それなのに、太陽の昇る方角(東)へと向かっていき
戦をしてしまっている。
それはけっしてよいことではない。
これは、不吉なことなのだ。
天の道に逆らうことになる。
それゆえ、私は、卑しい那賀須泥毘古ごときにやられて痛手を負ってしまったのだ……。
よいか、今これより、船を出して、向かう方角を変えるのだ。
これからは、太陽の日を、私たちの背中に陣形を取り戦うのだ。
よいか、敵の後ろに回るのだ。
はい、兄上。
兄の言葉を聞いた伊波禮毘古は、すぐさま、兄の言葉通り、
船団の向きを南に変えました。
南じゃ~、南へ舵を取れ。
守ってくださる存在は背後に
深手を負った五瀬命は、とても大切なことに“気づかれた”のです。
高千穂宮を出て16年、さまざまな土地で、国つ神たちとの交流、その地域に暮らす人々の習慣や暮らしぶりを知り、受け止めていく中で、本来の自分たちの”在る“べき姿を、少し見失っていたのかもしれません。
16年という歳月で、「一日でも早く、天下を統べる」という焦りも出たのかもしれません。
けれど、五瀬命と伊波禮毘古は、天つ神、高天原を統べる、天照大御神さまの孫で、天孫降臨してきた邇邇芸命(ににぎのみこと)さまの直系なのですから。
「太陽を背にして、相手に向かう」
私たちも、人生の中で、押しても押しても、頑張っても頑張ってもダメなときや、成果の出ないときがあります。
そんなとき、ひょっとすると、原点の「立ち位置」や、
本来の「在り方」へと、原点回帰してみるのも大切ですよね。
気づかぬうちに、最初の想いや、または自分の生きる「軸」が
少しずれていたりします。
伊波禮毘古のように、うまくいかないときには、「退却」をしてみることも必要です。
押してもダメなら引いてみる。
失敗は失敗だと認める決断。
それは、時短や、成果を急ぐ、こととは、違う次元にある気がします。
よく、神仏や守護してくれる存在、ご先祖は、背後にいらっしゃって守ってくださるといいますよね。
私たちも、そんな神仏やご先祖に
背後で守ってもらってこそ、
この人生を一歩一歩、道を切り開いて歩いていけますもんね。
在るべき場所と軸
兄の気づきを、素直に受け入れた、伊波禮毘古も、
きっと、16年の間に、少しずつ、ご自身の中での、「軸」が
変化していたことに気づかれたのでしょうね。
情報に溢れる時代だからこそ、この五瀬命のように、
私たちも、自分の在るべき場所や、「軸」を見直していくこと。
多くの情報の中でも、取捨選択をしてブレない、けれどしなる軸を整える、そんな生き方が大切な気がします。
さぁ深手を負いながら、大切な天孫の御子としての本来“在る”べき姿に気づかれた五瀬命と、伊波禮毘古の兄弟、
これからどうなるのでしょう?
―次回へ。
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