うれしい親子再会の地 崇神天皇 神話は今も生きている ことの葉綴り。二七七
反乱を鎮めて越の国へ
こんにちは。師走に入り寒くなってきました。そしてすっかり日暮れた夕方から「ことの葉綴り。」の神話の物語に向かいます。
崇神天皇の御代、
”天皇暗殺“の反乱を鎮めた叔父で舅の大毘古命(おおびこのみこと)と日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)。
反乱の首謀者は、大毘古命(おおびこのみこと)の
弟の建波邇安王(たけはにやすのみこ)でした。
大毘古命(おおびこのみこと)にとって、反乱を鎮め、戦に勝利はしたものの、孤高の悲しみがあったのではないでしょうか。
この大毘古命(おおびこのみこと)は、「お・も・て・な・しの祖」になると、以前紹介しました。
そして、崇神天皇(すじんてんのう)が、全国の平定に遣わせたのが、大毘古命(おおびこのみこと)をはじめ「四道将軍」と、呼ばれます。
「四道将軍」は、ほかに、大毘古命(おおびこのみこと)の息子で、崇神天皇(すじんてんのう)の従兄弟にあたる、建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)。
天皇の弟である日子坐王(ひこいますのみこ)。
そして、吉備の国を平定していた大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)です。
大毘古命(おおびこのみこと)の息子の建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)は、諸国平定のために、伊勢、尾張、参河(三河)、遠江、駿河、甲斐、伊豆、相模、武蔵、総、常陸、陸奥へと向かっていました。
地名の由来 うれしい再会の地
反乱を鎮めた大毘古命(おおびこのみこと)は、高志國(たかしのくに)、越の国(福井~山形のあたり)の平定に向かっていました。
あるとき後方から、ものすごい勢いで、軍勢が追いかけてくるではありませんか。
大毘古命(おおびこのみこと)は、馬上から振り返ってみると……懐かしい声が彼方から聞こえてきます。
父上~~~
おお~~我が息子ではないか。
たいそう立派な若武者が、馬を颯爽と走らせてきます。
「四道将軍」の一人、建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)です。
そうです、大毘古命(おおびこのみこと)の息子でした。
父に近づくと、息子は馬を降りて、駆け付けてきます。
父上が、越の国へ向かう道中と知り、一目お会いしたいと思い
東の国より駆け付けて参りました。
お元気であられましたか?
うむ。
建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)よ、
そなたも無事で何よりじゃ。
二人は互いを気遣いながら、とても幸せそうに微笑んでいました。
父の大毘古命(おおびこのみこと)と、
息子の建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)が、
久しぶりに、再会を果たし出会ったその地は、
相津(あいづ)と呼ばれるようになりました。
聞いたことありますよね?
あ・い・づ
そうです! 会津!!
福島県の会津です。
父と子を祭る伊佐須美神社
福島県大沼郡会津美里町の「伊佐須美神社」
ご祭神は、大毘古命(おおびこのみこと)と
息子の建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)!!
共に、ご祭神としてお祭りされています。
崇神天皇(すじんてんのう)の御代十年
諸国鎮撫のためにつかわされた父と子が
この会津にて行き逢い……。
そして、天津嶽(現在の新潟県と福島県の境にある御神楽岳(みかぐらだけ)にて、国家鎮護のために
神生み・国生みをされた、伊弉諾尊・伊弉冉尊(いざなぎのみこと・いざなみのみこと)さまの二柱の神さまをお祀りしたのです。
それが「伊佐須美神社」の由来なのです。
「四道将軍」として、朝廷に服さないものたちには、和平の言霊を向けて、ときに、反乱軍を鎮めたように戦いながら、諸国を、北陸道、東海道を平定していった大毘古命(おおびこのみこと)と、息子の建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)親子。
父と子、そして伊弉諾命・伊弉冉命をお祀りする「伊佐須美神社」は、現在も会津地方の古からの大社、“岩代国一之宮”会津の総鎮守のお宮、さらに八方除東北総鎮護のお宮として、多くの方に崇敬されています。
今も、父と子睦まじく、全国が平らけく安らかであるように護ってくださっているのでしょうね。
神話は今も、生きているのです!!
―次回へ
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