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三大神勅『日本書紀』1300年! 神道のこころ ことの葉綴り。其の百二四

『記紀』(きき)って?

おはようございます。今日は仕事で出かける前のひととき、「ことの葉綴り。」に向かいます。

いつも神話の物語を綴っていますが、
それは、『古事記』という神話を元にしています。
『古事記』ができたのは、712年!
古いですよね~。
それから8年後、720年、もう一つの歴史書『日本書紀』
成立しました。
この、日本最古の書物を併せて『記紀』(きき)と呼びます。

同じ時代に、歴史書が2冊って、しかも1300年前って
すごいですよね。

『古事記』と『日本書紀』にも違いがあります。
ちょっと比較してみますね。

つくられた経緯は、一緒です。
第39第天武天皇により、これまでの国の成り立ちや歴史を、後世にきちんと残すために、歴史編纂が命じられます。

『古事記』は、天武天皇が、飛鳥の宮廷で、自ら語り部として、
「やまとことば」で語られものを、稗田阿礼(ひえだのあれ)が、
声に出して読み暗記して覚えたものを、
太安万侶が文書に編纂しました。
物語も、宇宙のはじまりから、日本の国土や、火や、食べ物の起源、さまざまな神さまの誕生と、上巻は神代のお話で、出雲の神話も多く語られています。上巻・中巻・下巻の全3冊で、神代から第33代の推古天皇までが綴られています。

一方、『日本書紀』は、中国や諸外国と、当時の“世界”向けで、編年体という、漢文の、中国の正史の歴史書を書くスタイルで書かれています。
物語は、世界の始まりからスタートしますが、出雲神話は殆どありません。
天武天皇の第三皇子・舎人親王(とねりしんおう)を中心に編纂し、本文が30巻、神話最初の2巻のみ。系図1巻

『古事記』では、須佐之男命(スサノオノミコト)、『日本書紀』は素戔嗚尊と、神さまの名前の漢字が違います
物語の内容も、違うところもあります。
特に、倭建命(ヤマトタケルノミコト)は、『古事記』では、父の景行天皇に疎まれた悲劇の王子ですが、『日本書紀』では、父の天皇に忠誠を尽くす王子として登場します。

この2つを読み比べてみると、おもしろいですよね

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『日本書紀』1300年の記念年!**

そして今年は、養老四年(720年)に
『日本書紀』が出来てから、
令和2年は、1300年の記念年となります。

『日本書紀』も神代のお話から、はじまり、
天照大御神さまが、子孫に授けた
三つの“おつげ”“おことば
”があります。
それを、「三大神勅(しんちょく)」といいます。
天照大御神さまの御心は、
天孫降臨された、孫神の瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)さまから
この現代にいたるまで、大切に守り受け継がれています。

まさに、神話は今も生きている! です。

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『三大神勅』(三大神勅)を知ろう!**

では、天照大御神さまは、どんな“おことば”“おつげ”を
されたのでしょうか?

天壌無窮の神勅(てんじょうむきゅうのしんちょく)

「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国は、
是(こ)れ、吾子孫(わがうみのこ)の王たるべき地なり。
宜しく爾皇孫就(いましすめみまゆ)いて治(しら)せ。
さきくまえ。
宝祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、
まさに天壌(あめつち)と窮(きわま)りなかるべし」
『日本書紀』神代紀 第九段 一書第一

この瑞穂の国、日本は、わたしの子孫が天皇となる国です。
その皇位は、天地とともに永遠に、さかえることでしょう。

太陽の姫神の天照大御神さまは、天孫降臨される、
孫神の瓊瓊杵尊さまに、この「神勅」をお授けになりました
そして、令和元年五月、新たに天皇陛下がご即位。
秋の即位礼で、第126代の皇位を受け継がれました!

宝鏡奉斎の神勅
(ほうきょうほうさいのしんちょく)

天照大御神さまは、また瓊瓊杵尊さまに、
三種の神器をお授けになります
そして、その中の「鏡」を、
「この鏡をわたくしだと思い
大切にお祀りなさい」

と、葦原中つ国、地上でお祀りすることを
お命じになります

この鏡は、神話の物語の「天の石屋戸」に登場した
「八咫鏡」のことです!!

やがて、伊勢の神宮にお祀りされて、
宮中では、その分霊(わけみたま)のお鏡を
お祀りしています。

天皇陛下が、ご即位の「御大礼」でも、
まず伊勢の神宮へ、そして宮中の大神様に
ご奉告されました。

宮中でも、伊勢の神宮でも、このように
天照大御神さまへのお祀りは、
今も天皇陛下に受け継がれています。
また、神宮の祭主を、黒田清子さまがおつとめになられています。
この「祭主」は、天皇陛下の代わりとして、
天照大御神さまにお仕えして、
伊勢の神宮の神職を統べる役割
です。
また、今度、この神宮の祭主についても、ご紹介したいと思います! 

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斎庭稲穂の神勅
(ゆにわのいなほのしんちょく)
「わたしが、高天原で育てた
神聖な稲穂を授けましょう」

天照大御神さまは、高天原でも
神聖な田で稲を育てられていました
その稲を、地上の人々の食の中心とするよう
葦原中つ国へと降臨する
孫神の瓊瓊杵尊さまにお授けになったことを伝える神勅です

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私たちの先人たちは、この稲穂を大切にし
稲作で、お米をつくり、生きてきました

日本の食文化の「原点」。
今も毎年秋になると、宮中や伊勢の神宮をはじめ
全国の神社では、新穀の収穫を祝う感謝のおまつり
「新嘗祭」が、執り行われます

天皇陛下、御自ら、天照大御神さまはじめ神々へと
新穀をお供えされて、
大神さまと、共に、お供えを召し上がられて、
国の人々の繁栄と安寧を祈られます

天皇陛下が御即位された、はじめの年の新嘗祭のことを
「大嘗祭」
といいます。

日本の稲作と食文化は、
神代から受け継がれてきた
のです。

2020年の今も、生きている
神代の時代からのご神事

そして私たちは、天皇陛下に
“祈られている”存在である

って、ことを、意外と知りませんよね?

ありがたい……。

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―次回へ。

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