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鬼と互角の戦い 神話は今も生きている ことの葉綴り。二三八

桃太郎の鬼退治伝説の元に!

おはようございます。雲間から青空が見えている朝、今日も「ことの葉綴り。」に向かいます。
“知られていない神さま”こと『欠史八代』の続きです。

前回は、四人の妻と八人の御子を授かった第七代、孝霊天皇(こうれいてんのう)のくだりでした。
その、母違いの御子の、長子が皇位を継承し、他に「吉備」と名のつく御子が二人いました。
二番目の后の御子、大吉備津日子命(おほきびつひこのみこと)と、四番目の妻の御子、若日子建吉備日子命(わかひこたけきびひこのみこと)です。
そして、この二柱の御子は、播磨(兵庫県)から、吉備の国へと進み、兄弟で力を合わせて、吉備國を平定します。

岡山市の古社「吉備津神社」のご祭神として、
大吉備津彦命(おほきびつひこのみこと)と、
若日子建吉備津日子命
(きびつひこのみこと)と、その子ども、吉備武彦命(キビツダケヒコノミコト)をはじめ、一族の神々がお祀りされています。

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吉備の國の平定の際に、地元にいた温羅(うら)という鬼を討った伝説から生まれたのが、「桃太郎」の鬼退治の物語

何年か前に、岡山のお寺に滝行に行ったのですが、地元では、この撃たれた温羅も、悪い鬼とは思われていないようでしたよ。
鬼には鬼の理由があるのですね。(って『鬼滅の刃』の精神も同じですね)。そして、このとき討った温羅の首は、吉備津神社の釜の下に封じ込めたといわれます。

今日は、桃太郎の物語の元となった、この吉備津神社に伝わる鬼退治の神話をご紹介します。

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鬼退治の神話

むかしむかし、遠い異国から空を飛んで吉備國にやってきたものがいました。
目は寅や狼のように爛々と光り、髪は赤赤とぼうぼう、身の丈は一丈四尺(4メートル)もあり、足守川の西の新山(にいやま)に城をつくり岩屋に住み着いた。
これは、一説には、百済の国の王子「温羅(うら)」といいました。
性格も荒々しく狂暴で、船や女子供を襲っていたので、人々は温羅の岩屋を「鬼の城」と呼び恐れおののいていました。


人々は「助けてください」と、都の朝廷に助けを求めます。そして武将を遣わせますが、誰も討伐できずに逃げかえっていました。

そこに遣わされたのが、五十狭芹彦命(いさせりびこのみこと)=吉備津彦命(きびつひこのみこと)・・・これは『日本書紀』の書き方で、古事記では、伊佐勢理毘古命(いさせりびこのみこと)=大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)でした。

吉備の中山に陣を敷き、温羅と戦うことになります。

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互角の勝負

ところが、不思議なことがおこります。
吉備津彦命(きびつひこのみこと)の射た矢と、温羅(うら)の投げた石が、ことごごく、空中で衝突し、海へと落ちていくのです。

五分五分の戦い……苦戦を強いられた吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、考えを巡らして、一度に、二本の矢を射ることにします。

そして一本の矢は、温羅の放った石にぶつかり、海中へ沈みますが、もう一本の矢が、温羅の左目に突き刺さりました。

ケガをした温羅は、驚いて雉に姿を変えて山に逃げていきます。
吉備津彦命(きびつひこのみこと)は、鷹になって追います

つかまりそうになった温羅は、雉から今度は、鯉に姿を変えて、
ケガをした左目からあふれた血で川となった、血吸川に逃げたのです

吉備津彦命(きびつひこのみこと)も、今度は、鵜に姿を変えて、鯉となった温羅を見つけて、噛みつかみあげて、ついに捕まえたのです。

温羅は、降参をして、それまで人々から呼ばれていた「吉備冠者」を命に献上したので、それ以降、吉備津彦命(きびつひこのみこと)と呼ばれることになりました。

この神話の、二人が、射た矢と石がぶつかり空中で衝突し落ちた場所には、「矢喰宮」があります。


また、逃げる鯉となった温羅を、鵜となった吉備津彦命(きびつひこのみこと)が噛みあげてつかまえたところは、「鯉喰神社」が、現在もあるのです。


ところが、物語はまだ終わりではありませんでした……。

何があったのでしょうか?

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―次回へ


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