倭姫命様“侘しさ”と天照大御神様への「お侘び」元伊勢八五 神話は今も生きている ことの葉綴り四一四
春の例祭
こんにちは。お天気の良い日曜日。今日から「春の土用」。
全国の神社では、春の「例祭」が執り行われる季節です。
「例祭」とは、その神社さんにお祀りされているご祭神や、神社にとって由緒ある日に行う大事なお祭りのこと。
今年は、感染症対策として、ご神事だけ執りおこない、舞の奉納などは中止されています。
ちなみに、今日は京都の吉田神社さんの「例祭」。ご創建に由来する祭事が、おごそかな中で執り行われます。
また、静岡の「小國神社」さんの例祭。17日と18日は、古の飛鳥時代から伝わる伝統の舞楽『古式十二段舞楽』の奉奏がおこなわれます。
大宝元年(701年)に天皇の使者の勅使(ちょくし)が、神社にいらしたときに、奉奏された十二段の演目からなる舞楽。
1300年以上も受け継がれてきているのですね。すごいですね。
さて、今日も神話の物語に入ります。
天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの物語。
※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。
天照大御神さまの御こころ
前回は、伊勢の神宮、皇大神宮(内宮)の別宮(べつぐう)の「瀧原宮(たきはらのみや)」をご紹介しました。
「此の地(ところ)は、皇太神(すめおほみかみ)の欲(おも)ほし給ふ地(ところ)には有らず。」
と悟したまひき。
其の時、大河の南の道自(よ)り、宮処(みやどころ)覔(ま)ぎに幸行(みゆき)したまふに、美(よ)き野に到り給ひて、宮処覔(もと)め侘(わ)び賜ひて、其の処を「和比(わび=侘)野」と号(なづけき)。
さて、これをみていきましょう。
倭姫命さまはご一行は、大河(宮川)の上流で、出会った、地元の神、真奈胡神の案内で、水が清く美しい滝原にたどり着かれます。そして宇侘の大宇祢奈(おほうねな)に、お命じになり、「瀧原宮(たきはらのみや)」をお造りになられ、天照大御神さまをお祀り申し上げました。
なのですが……なんと、天照大御神さまの御こころのままにお祀りする御杖代(みつえしろ)であり、斎王(さいおう)である倭姫命さまが受け取られたのは……。
天照大御神さまは、
「この地は、私が、永遠にここに居たいと思ふところではない」と、倭姫命さまに、お悟しになられたのです……。
皇太神(すめおほみかみ)さまのお考えになる、伊勢の国の、美しい地は、この地(ところ)ではなかったのか……。
倭姫命さまは、御杖代(みつえしろ)です。
何より天照大御神さまの思ひを尊ばれます。
倭姫命さまは、ご一行の皆にも、こうお告げになります。
「皆のものよ。ここは、天照大御神さまが、お望みのところではありません」
再び、ご巡幸へ
きっと、倭姫命さまも、ご一行も、みな、「瀧原宮」に皇太神(すめおほみかみ)さまをお祀りなさって、喜ばれたことでしょう。
けれど、再び、ご巡幸へと旅立たれます。
「天照大御神さまにとり、もっともお喜びになるよき宮処を探すために!」と。
倭姫命さまご一行は、滝原をご出発されて、大河(宮川)の南の道を通り進まれていきます。
皇太神(すめおほみかみ)さまに相応しく美しき宮処……。
倭姫命さまの思いは、ただそれだけです。
願いが叶わない侘しさ「和比野」
やがて、美しい野に辿りつかれました。
おお~この地であれば、よいのではないだろうか?
倭姫命さまはじめご一行たちは、宮処となる場所を探し始めます。
倭姫命さまは、ほっとされたのも束の間。
その地には、皇太神(すめおほみかみ)さまをお祀り申し上げまる、お宮の候補地を、その場所を探しだすことが叶いませんでした。
なんという、ショックでしょう。
倭姫命さまの落胆と、ため息が、もれ聞こえてきそうではありませんか?
倭姫命さまは、あまりにもお心が侘しくなられました。
そりゃあ、そうですよね。
ご巡幸の旅が、もう三十年以上です。
ようやく辿りつた伊勢の国。
この伊勢の中で、天照大御神さまがお喜びになる宮処!!
その一心で、ご巡幸を続けられているのです。
そして、天照大御神さまに、「皇太神(すめおほみかみ)さまのお求めになる宮処を、この地では探すことができずにおります。申し訳ございませぬ」と、“お侘び”になられたのです。
倭姫命さまは、その“侘しさ”と、天照大御神さまに””お侘び”になられた
ゆえに、その地(ところ)を、「和比野(侘野)」とお名づけになられたのです。
そしてなんと、“お宮を建てることが叶わなかった”ところが、今も現存するのです!!
すごくないですか?
倭姫命さまのご巡幸の足跡が今も!
三重県度会郡(わたらいぐん)渡会町和井野の里に、「倭姫命の小祠・記念碑」が建っているそうです。
また、倭姫命さまが、滝原から峠を越えて大河(宮川)の川上へとご巡幸をなさったときに、乾いた喉を潤された清水の「川上の清水」が、今も残っています。
一之瀬川の上流からの自然水が流れているのです。
困難な道を歩かれて疲労困憊されたときに、お休みになられた一之瀬川の右岸にある岩「乙女岩」の巨岩が、残っているそうです!!
https://www.kankomie.or.jp/spot/detail_8510.html
神話ってほんとうに、今もつながって生きてます。
“叶わない”から、違う未来がひらける!
そして、倭姫命さまの、ご巡幸はまだ続いています。
ファイト~!!! 心から応援したいですね。
私たちも「願いが叶わない」ことってありますよね。
でも、叶わなかったから、他の道が開けたり、違う出会いがあったり、学びがあったりします。
その「不成就」をどうとらえるかによって、人生も違ってきます。
もし、倭姫命さまが、この「和比野(侘野)」で宮処をお建てになっていたら、今の素晴らしい、伊勢の神宮は“ありません”もんね。お~そう考えると、深いですね。
倭姫命さまの、「侘びしさ」は、私たちも、人生で、一つの願いが叶わなかったときは、しっかりその「侘しさ」を受け止めながらも、「さあ、次へと進みましょう!!」と、訓えてくださっている気がします。
倭姫命さまが、天照大御神さまのお心のままに、全身全霊で旅をされた道のりを、辿ってみたい!! その気持ちが強くなります(^^)。
いつも、ありがとうございます。
―次回へ
#一度は行きたいあの場所
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