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神道のこころを伝えたい ことの葉綴り。其の九三


「言挙げせず」と「言霊」を大切に感じながら

おはようございます。今日も「ことの葉綴り。」に迎えました。
前回で、伊邪那岐・伊邪那美さまの物語のくだりが終わりました。

神話は、須佐之男命さまのお話になります。以前、前後編で短く紹介はしたのですが、もう一度、ゆっくり綴っていこうと思います。

この「言の葉綴り。」は、
私たちが先人たちから受け継いできた、
神道のこころを伝えたいと
「私なりに書き溜めておこう」と、noteをはじめました。

そんなある日、お参りした神社の拝殿に張られた
「人生に失敗がないと、人生を失敗する」
というポスターと出会いました。
そこから、神話の神さまの魅力を
“神様も失敗して成長した”として書こうと思い立ちました

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神道では、昔から「言挙げせず」の精神があります。
言挙げとは、個人が取り立てて言葉にして明確にすること。
古来、言挙げに誤りがあると、命を失うことにもなるとされ、
慎まれていたのです。
言葉には魂が宿る「言霊」でもありますからね。

今の時代からすると、
「自分の思ったことを言えないなんて~」と
思うかもしれませんね。

けれど、決して“悪い”意味だけにとらないでほしいです。
そこには、五感で“感じる”ことを大切にする根があります。
神道は、“感じる”ものなのですから……。

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たとえば、神社にお参りをしていて、清らかな一陣の風が吹き抜けていきました。
その清々しさ、爽快さ、湧き上がる喜び、
手を合わせて目を瞑っていても、嬉しくなりますよね。
なにか、祈りを見守ってもらえた感覚や。
神さまに、祈りが届いたかしら? と感じたり。

この、「感覚」、「感じる」……の尊さ
それを、私たちは日々の暮らしの忙しさの中で、忘れがちです。
今の時代は、すぐに思考や頭で考えて言葉にしてしまいますが……
それとは、ちょっと違う、体感する感じ。
我が身とこころが動く感じ。

20200415宇治橋朝日IMG_6841

それをまず感じましょう。
味わいましょう。
全身で受け止めてみましょう。
心の躍動を感じましょう。

と、いうことなのではないかな~と。

感動した瞬間って
うまく“言葉”にならないこともあります。

言動一致じゃないけれど。
我が身やこころ、細胞が動き感動する、
“そのものの”体感を
言葉にしてみて、
「ちょっとなんかちがう」
ということもありますよね。

言葉にしない、感じることの大切さ
というのも、きっと在るのだと思います。

と、同時に、言葉で伝わることもあります

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「光に向かって。3.11で感じた神道のこころ」

2011年3月11日、未曽有の災害となった東日本大震災。
そのとき、暴動もおこらずに、皆が協力しあう日本人の姿に、
海外から驚きの声があがりました。
当時、仏教の視点から見た書籍はありましたが、
神道の視点で視たものは、ないな~と思いました。
そこで、未曽有の東日本大震災のときに
東北の神社では、何があったのだろうか?
岩手県、宮城県、福島県の
神社の宮司さまや、神職さん、奥さんに
お話を聞かせていただきました。

皆さんから溢れ出てきたのが
深い深い、魂からの、心からの一言一言
です。

八重垣神社仮殿IMG_1162

神社の言い伝えで、命が救われたことや
古来から受け継がれてきた言い伝えや
自然と共に、神と共に、祖先と共に、
地域や、仲間や友達、家族と共に生きてきた
神道のこころ。
日本人のこころ
でした。

そのこころを……一冊の本に
綴らせていただきました。

ありがたいことに、今は
神道のこころを、綴ることに
言挙げすることに、
“お怒り”を受けることはなく(笑)。
逆に、多くの諸先輩や皆さんから
ご縁をつないでいただいたり
うちの神社の宮司さんをはじめ、
皆さん、サポートをしてくださり、
先人方、大先輩方からも
「神道のこころを伝える大切さ」を
仰ってくださって
応援してくださいます

本当にありがたいです

それからも、ずっと
神道のこころを伝えたい。
そう、思っていました。

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365日毎日神さまの手帳

けれど、書こうと思うと、
惟ながらの道は
あまりにも幅も広く、深く、深淵で
私が書いていいのだろうか?
勉強が足りないのではないだろうか?

また、間違ったコトを書いてはいけないとも感じ
何を、どう、どんな形で……
と、ずっと、ずっと考えてきました。
何年も何年も。

その後、手帳をつくるお仕事をいただき
手帳のコラムに365日、その日その日の
神さま、仏さま、日本の四季など
古来からの智慧を書かせてもらえました。

ちょうど御代替わりもあり
普段はあまり知られない
宮中祭祀、
伊勢の神宮の祭祀
季節の旬の食、お菓子

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あ~まさしく伝えたかったものだ
暮らしの中にあるもの。
感じていると少し幸せになれるもの。
神さまや仏さまとのつながり
ささやかだけど、こころの豊かさにつながるもの

と、執筆は、作業量は多く手間暇をかけましたが
とても、とても幸せを感じました。

今は、「幸せ学」という学問もありますが、
神道的な暮らしのなかで、
幸せになれるこころ。
今、在ることの「尊さ」

綴っていきたい

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神道のこころを伝承するために

そして今年の冬……ひょんなことからですが
母校の先生から
「あなたが『古事記』を読んで
感じたことを書けばいいじゃないですか」
と、言葉をもらったことも大きなきっかけでした。

「あっ、私、書いてもいいのだ~」
ようやく、自分に許可を出せたのかもしれません。

そして、今年、お参りした神社のポスター
「人生に失敗がないと
人生を失敗する」
を見て、
神話の神さまも、いろいろ経験されている!
そのお姿や経験は、
今を生きる、私たちの参考になる。
神話を通して、神道のこころを綴ろう

そう思えたのです。

大神神社光IMG_0670

「言の葉綴り。」で……

最初に、須佐之男命様を前編後編で2回。
その次に、大国主命さまで23回
そして、伊邪那岐伊邪那美さまで、29回
伊邪那岐命さまで、11回。
ほかに、その日浮かんだエッセイと、
ちょうど、テレワークになったことも幸いし、
この「言の葉綴り。」を綴れています。

私が、「今」、できることをする。

それだけ。


パソコンに向かうと、“予定”とはぜんぜん違うことが浮かぶことも多く、神話の物語とは別のことを書き出していたりします。
なので、物語の進みは遅い……(苦笑)

けれど、神道のこころ、
やまとごころを
大切に、
次の世代へと受け継がれていくように
祈りを込めて

これからも、綴らせていただきます。
写真もこれまで、私が撮りためたものです。

今は、noteと、その写真をインスタグラムに。
神話の物語は、Facebookの、
神話の好きな方のグループに更新させてもらっています。

皆さん、この「言の葉綴り。」に
出会ってくださり、
ありがとうございます

長文を読んでくださり、
ありがとうございます。
今日も最後まで、ありがとうございます

これからも宜しくお願いいたします。

読んでくださっているお一人お一人に
感謝の祈りの手を合わせます

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ー次回へ

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