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馬子、甥っ子たちの命を奪う “神話は今も生きている”ことの葉綴り 八六二

ものごとを突破したい月曜日

おはようございます。新たな一週間のはじまり。
七月十一日(月)の暦は、六曜は「赤口しゃっこう」で、お昼前後、正午が吉。十二直は、物事を突破するやぶる」意見の違う人を説得したりが、よしの日。二十八宿「」で、壊れものを修理したり工事したりが吉。壁塗りもいいので、家の壁紙の張替えもいいですね。そして、お参り、ご神事、ご先祖供養、お墓参りによしの「神吉日かみよしにち」です。


<note「ことの葉綴り」振り返り>


「ことの葉綴り」“神話は今も生きている”振り返りはこちらです。
よかったら、お好きな神さまの物語をご覧ください。



蘇我の馬子と欽明きんめい天皇さまの御子たちとの縁

第三十二代、崇峻すしゅん天皇さまは、
二十九代欽明きんめい天皇さまの御子で、
第三十代、敏達びたつ天皇さま、
皇后の豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみことさま、
第三十代、用明天皇さまも、
みな、欽明きんめい天皇さまの御子で、異母兄弟にあたりました。

しかも敏達びたつ天皇さま以外は、宮廷に強い権力を持っていた、蘇我稲目宿禰大臣そがのいなめのすくねのおほおみが、母方の祖父でもありました。
敏達びたつ天皇様の御世には、蘇我稲目そがのいなめの息子の蘇我馬子そがのうまこも、大臣となりゆるぎない地位を確立していました。


馬子の力、甥っ子二柱を命を……

その“こと”が起きたのは、敏達びたつ天皇さまが身罷られた“とき”。

みなの兄弟で、欽明きんめい天皇さまの御子間人穴太部王はしひとのあなほべのみこが、
敏達びたつ天皇さまが身罷られた直後に、美しい皇后であり、母の違う姉妹の豊御氣炊屋比賣命とよみけかしきやひめのみことさまを、我がものにしようと狙いをつけて、身罷られてすぐご遺体が安置されている敏達びたつ天皇さまの「殯宮もがりのみや」に、押し入り襲おうと計画したのです。

けれど、敏達びたつ天皇さまに仕えた忠臣、三輪逆みわのさかうが、間人穴太部王はしひとのあなほべのみこの妨害をし「殯宮もがりのみや」へと入ることを阻止!

間人穴太部王はしひとのあなほべのみこは、自分の“計画”を邪魔されたことに怒り、その忠臣、三輪逆みわのさかうを殺してしまいます。

蘇我馬子そがのうまこは、甥っ子にあたるこの御子間人穴太部王はしひとのあなほべのみこが皇位につくことを阻止すべく、甥の命を奪い、そして、同じ母を持つ甥っ子の一人、崇峻すしゅん天皇さまを即位させたのでした。

馬子からすると、甥っ子ですので自分があやつり実験を握ることができると思ったことでしょう。
けれど、第三十二代、崇峻すしゅん天皇さまは、日頃のストレスが溜まっていたのでしょう。
宴で馬子への文句を口にしてしまいます。

慌てたのは、厩戸の皇子(聖徳太子)でした。
宴の参加者に、天皇の言葉を広めぬように口留めしますが……やはり人の口は止められぬもの……。

馬子は、自分が馬鹿にされ、命を奪われると考えて、甥っ子の崇峻天皇さまを、殺してしまったのです。

それゆえ崇峻すしゅん天皇さまは史上初、唯一、臣下に暗殺された天皇として記録に残ることになりました。
いくら、実験を握り、甥っ子であったとしても、驚愕の事件となってしまいます。

さらに、いうと、崇峻すしゅん天皇さまが亡くなられると、次の皇位継承者がいないのです……。

さて、どうなるでしょう?


―次回へ


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