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天命を受け入れる賢さ 神さまも“失敗”して成長した ことの葉綴り。二二八

恩師の帰幽

こんにちは。今日は原稿を執筆した後、夕方からの「ことの葉綴り。」のひとときです。

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また今日は、恩師が帰幽された訃報が届きました。
コロナの影響もあり、ご家族とご親族だけで神葬祭がおこなわれるそうです。
神職になる研修時代から、お世話になった“先生”でした。

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朗々と祝詞を奏上される声が忘れられません。
私が、神職になれたのには、お二人の宮司さまのおかげですが、そのお一人の恩師でした。
今も、元旦祭と節分祭の奉職をさせていただけているのも“先生”のおかげです。
うちの祖母、伯父、叔母、父と神葬祭でみおくってくださった宮司さまでした。祖父はその先代の宮司様でした。

心からのご冥福をお祈りしたいと思います。
感謝と尊敬をこめて……。

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言葉の力

さて、神話の物語の続きを綴ります。

初代、神武天皇が崩御したあと、皇后、伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の御子たち3人は、自分たちを亡き者にしようとした、義兄の当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の、陰謀の先手を取って、撃ち果たしました。

そのとき、奮闘した末っ子の神沼河耳命(かむぬまかはみみのみこと)。
兄二人、長兄、日子八井命(ひこやいのみこと)、
次男、神八井耳命(かむやいみみのみこと)から、
その強さと胆力と勇気を褒め称えられて、建沼河耳命(たけぬまかはみみのみこと)という名前で呼ばれるようになりました。

日本には、「言霊」という、言葉には魂がこもる。言葉には力があると、言葉を大切にしてきました。


名前にも、その言霊がこめられていますね。
「建」には、逞しい、猛々しい、勇壮なという意味があります。

元春日大社の宮司を努められた葉室頼昭氏も、日本語について、著書『神道 見えないものの力』で、こう述べられています。

神さまは、神の世界を人間に見させて、それをこういう素晴らしい世界だと表現させるために、人間に言葉を与えられたと思うんです。
ですから、言葉というのは、自分の意志を使えるためのものではなくて、神のお姿を表現するためのものだと思います。
そして、人間にどういう言葉を与えたのかというと、
「あいうえお」と、「ん」しかない。(略)これで、すべて神の世界を表現させようというのが、人間の言葉だと思うのです。

三人の御子たちは、母の伊須氣余理比賣(いすけよりひめ)の智慧と愛からの「歌」で、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)の謀略を知り、そして兄弟で力を合わせて立ち向かいました。

二人の兄は、御子たちの最大の、命の危機、皇位の継承を守り抜いた、末っ子の建沼河耳命(たけぬまかはみみのみこと)の勇気、強さ、胆力を認めて、讃えたのですね。

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天命を知る

さらに、この三兄弟、仲が良いというか、頭が良いというか、我を通すのではなく、素敵なんです。

というのも、次兄の神八井耳命(かむやいみみのみこと)と、長兄の日子八井命(ひこやいのみこと)は、末っ子の弟、建沼河耳命(たけぬまかはみみのみこと)に、こう告げるのです。

弟よ。
私は、震えてしまい仇である、当芸志美美命(たぎしみみのみこと)を撃つことができなかった。
弟よ、お前は見事だった。勇気をもって仇を倒してくれた。
それゆえ、私が、お前の上にたって、天皇とはなれない。
そなたが、父上の跡を継承して、天皇となって、天の下を治めるのがよいと思う。
私は、そなたを助けて、神さまへの神事を司る忌人(神をお祀りする人)になり、そなたにお仕えしよう。
そなたこそ、皇位継承するのにふさわしい。


こうして、兄二人の智恵と決断により、末っ子の建沼河耳命(たけぬまかはみみのみこと)が、皇位を継いで、二代目の綏靖(すいぜい)天皇となられたのです。

神話には綴られていませんが、兄二人は、天神地祇(てんしんちぎ)の天つ神、国つ神をお祀りする神事をおこない祈り、弟の天皇を支えたのでしょう。

表に立つものと、それを支える存在があるように、この兄たちのように、「自分には、その役割ではないが、祈る、ご神事をする、別の役割がある」と、天命を知り、素直に受け入れて精進する
それも、生きる上で、欲望から地位を狙う次元とは違い、自分の天命を知り受け入れる……すごく大事なことですよね

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―次回へ

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