命を懸けて潔白を 雄略天皇二七 神話は今も生きている ことの葉綴り八二一
大安+新月+満 新たな種まきに大吉
おはようございます。五月なのに真夏日ですね。
皆さん、体力落ちていませんか? 水分補給を心がけて熱中症対策したいですね。
さて吉日の五月三十日(月)です!六曜は「大安吉日」万事によしの大吉日。新たなことに取り組む、移転、旅行、婚礼、すべてよし。十二直も「満」で、すべてに満たされる日。とはいえ控え目にしてよし。祭祀、お参り、婚礼、お祝いごと、移転、新たなこと、種まき、旅行に吉。二十八宿は「張」で、祭祀、お参り、婚礼、お祝いごと、就職に吉で、種を蒔くのは大吉!
夜中の二時二十二分に双子座の新月タイムに入り、夜二十時半にちょうど新月になります。何か新たなことをスタートする絶好のタイミング! 種をまいたり、ずっと計画していたことを実行に移すのにもってこいの日です!!
気分が変わる人も多いかもしれませんね。
皆さん、どんな“種を”まきますか?
さて今回も、雄略天皇さまの皇女で、伊勢の斎王稚足媛さまの悲しい物語です。
斎王を襲ったスキャンダル
第二十一代、雄略天皇さまは、第十四代、仲哀天皇さまの御世から、不在となっていた、伊勢の神宮の斎王となり、皇祖神の天照大御神さまをお祀りするよう皇女の稚足媛さまにお命じなられました。
斎王として、日々、天照大御神さまにお仕えしていた稚足媛さまに、「お仕えする武彦に犯されて、身籠っている」と、衝撃的なスキャンダルがふりかかってしまい、それは、宮中の父である天皇さまの耳にも入るほどでした。
豪族だった武彦の父は、一族を守るために、仕方なく我が子を手にかけて殺してしまいます。
武彦の悲報に、稚足媛さまもなすすべもないまま、ただ心を傷められました。
父の雄略天皇さまよりの、事を問いただす使者にも「私は知りませぬ」と答えられましたが、神に仕えるものとして、なんという噂が出てしまったのだろうと、ご自身の不徳の致すところだと、そのせいで武彦までも命を失ったと、ご自身を責められて、さらに父の天皇さまにも疑惑をもたれたことに、心の傷が、さらに大きくなり、もう体も心もズタズタに引き裂かれてしまわれました。
そして、天照大御神さまが孫神に授けられたご神鏡を五十鈴川の畔に埋められると、稚足媛さまも、その側の大木の枝に首を吊り亡くなられてしまったのです。
闇夜に光輝くご神鏡
稚足媛さまのお姿がないことにあわてふためいたものたちが、懸命に捜索をしますが、見つかりません。
父の雄略天皇さまも、たいそう驚かれて、皆の者に、昼も夜も探し出すようにと命じられました……。
やがて……ある夜のことです。五十鈴川のほとりに虹の様に光り輝くところがありました。
その虹は、まるで、四~五丈(約13~15メートル)ほどの大蛇のようでもあったといいます。
皆のものが川のほとりにいってみると、土を掘ったあとがありました。
そして、掘り返してみると、白い布に包まれた、ご神鏡が発見されたのです。
斎王稚足媛さまのご遺体を
そして、一行が、その近くを探してみると、大木の葉の上に、変わり果てられた斎王、稚足媛さまのお姿がありました。
父の雄略天皇さまは、皇女の死に悲しみながらも、一方、もしや……まさかとは思うが……身籠っていたのか? と、噂の真相を確かめるために、亡くなられた稚足媛さまのご遺体のお腹を切開されたそうです。
斎王稚足媛さまの、お腹からは、噂にあるような“妊娠”という事実はなかったことが証明されました。
我が息子を手にかけてしまった武彦の父は、慟哭し息子を殺めたことを後悔したそうです。
すべて、噂でしかありませんでした。
けれど、その噂により失われたものはあまりにもおおきかったのです。
皇女で、神に仕える斎王の稚足媛さまは、ご自身の命を持って潔白を晴らされたのです。
言葉は鋭利な刃物にも
この物語には、別の言い伝えもあるようです……。
稚足媛さまが、ご自身の命を持って潔白を晴らされたのは、変わりませんが、そちらでは、斎王に武彦はお仕えしていたわけではなく、稚足媛さまの美しさ、神神しさに心を奪われて、斎王がお出ましになるときに、いつも「皇女さま」と声をかけるようになり。そこから噂が広まってしまったようです。
皇女の死に、自分の行為を後悔し、稚足媛さまに侘びるために、皇女の後を追い、自ら同じように命を絶った……とあります。
どちらにしても、稚足媛さまの身におきた悲しい物語であることに変わりはありませんね。
人の「噂」「嘘」により、傷つく人がいて、命を落とされた……これは今にも通じることですね。
言霊というように、言葉は人を幸せにすることもあれば、悪意のある言葉は、鋭利な刃物のように人の心も体も突き刺してしまいます。
そのことを日頃から忘れずにいたいですね。
雄略天皇さまが、伊勢の外宮こと、豊受大神宮をご創建されたのは、それからのちのこととなります。
雄略天皇さまの物語は、ここで終わりますが、ご即位前の物語といい、皇女の悲劇といい、とても過酷な道を歩まれたのですね。
ご即位後の物語が、恋のお話になっているのが、ちょっと救いなのかもしれません。
ではでは、また次回へー。
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