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須佐之男命を妣の国へ追放  伊邪那岐命最終回 ことの葉綴り。其の九二

妣(はは)慕う息子

こんにちは。休日の日曜日の午後「ことの葉綴り。」のひととき。
いよいよ、伊邪那岐命さまの物語は最終回を迎えます。

禊祓を繰り返し、我が身と心を清められた末に
誕生された三貴神。
その末のやんちゃな須佐之男命さまだけは
父の言いつけを守らずに
激しく泣いているばかり。
山という山は枯れ果てて、川や海の水も涸れて
禍を起こす悪神が、夏の蠅のようにおおいつくし
あらゆる禍が起こってしまいました。

葦原中つ国のすさまじいひどい状態を見かねられて
伊邪那岐命さまは、息子に
「なぜ使命を果たさず泣いてばかりいる?」と
お尋ねになると、須佐之男命さまは
「お母さまに会いたい! 亡くなったお母さまのいる根の堅洲国に行きたい~~!!」

根の堅洲国とは、地底の片隅にある異なる世界です。
これをお聞きになった伊邪那岐命さまは、
父であり、葦原中つ国をつくられた神として
たいそう”お怒り”になられました

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伊邪那岐命さまの道筋

ここで、父・伊邪那岐命さまの神としての道筋を振り返ると……。
思えば、高天原の天津神諸々から
「修理固成」を委ねられ、
伊邪那美命さまと共に
この葦原中つ国に降り立たれてから
結婚するも、産まれた赤子との別れがあり
高天原の神々に相談をして
結婚のやりなおしをされて
そこから、伊邪那美命さまと共に
この国土の島々、山、樹木、河と
あらゆる自然をお産みになり、
そして、さまざまな神さまをお産みになられていきます。

ところが、夫婦道半ばで、
火の神を産んだ妻が大やけどをして、
そして、最愛の妻を亡くしショックのあまり
“我”を見失ない、亡くなった妻の後を追い
妻を奪還するために死の国へ……。

愛する偉大な、妻であり母……。
妻への思いが伝わってきます……

ところが、黄泉の国で
黄泉の国の食べ物を食べてしまた妻の腐乱死体を目にし、
「死」というものを、
実際に体感をして
命からがら逃げ出しました。

黄泉比良坂での別れ……。
亡くなった妻との、離婚を宣言

そこで、「生」と「死」の世界が
はっきりと分かれます。
別れた妻は、死者の世界の神となったのです
。そこから、
一人で、「生」の世界へと戻りよみがえられたのです

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国生み・神生みの祖神(おやがみ)として

死者の国での穢れ、汚れ
自分自身の悲しみ、恐れとも向き合い
禊を続けながら
我が身とこころを清め祓ってきた末に
貴い貴い、三柱の子を授かった。

輝くばかりの美しい姫神の天照大御神には
天上の高天原と昼の世界を委ね、
月のしずかな光のような月読命には
夜の世界を委ねました。

ただ、末のやんちゃで力のある須佐之男命だけは
母の存在を失った喪失感と悲しみに打ちひしがれて
泣きわめいているだけ……

きっと息子に、自分も最愛の妻を失い慟哭した。
そのときの悲嘆の同じ姿をも重ねていたのではないでしょうか

偉大だった妻、母。
私があれほど慕ったように
子であれば、母の愛、優しさを求めるであろう。
よろずのものは、母という存在に甘えている。

死者の国で目にした鬼のような伊邪那美命さまは
大いなるグレートマザーの影の面でもありました。

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息子をこの世から「追放」す!

父と息子
言葉数も多くはないでしょう。

母を恋したふ我が子の気持ちはわからぬではない。
だが、このままではいけない……。
この息子も、いや、この葦原中つ国、世界中が
ダメになってしまう……。
そして、いったん死の国へと踏み入れたならば
そこからは、もう二度と帰れぬのに……

それでも、
「うぇーんうぇーん、お母さまに会いたい~」
泣きわめくことをやめない須佐之男命。

どうするのがいいのだろう?
一人の親神として、父として
できることとできないことがあります。
また「生」と「死」との世界を行き来はできません

考えあぐねた末に、やがて伊邪那岐命さまは、
“激しい怒りをあらわ”にされて

こう息子に仰ったのです。

「ならば、そこまで泣いて気持ちが変わらぬなら、
お前は、この国、『生』の国に住んではならぬ!!!
それほど、あの世の妣が恋しいなら、この世から出てゆけ!!」

そう宣言されると、須佐之男命さまの
天津神という身分をはく奪されて、
「追放」されたのでした……。

もう天津神ではない。
お前の好きなようにしろ!!
ただし、覚悟はいるぞ。
この国にはもう、戻ってこれぬ!!」

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自らの“引退”もかけた父

実はそれだけではありませんでした。
伊邪那岐命さまは、ご自身も、神のお仕事を“引退”終えられて

淡海(あふみ)・近海(おうみ)近江(滋賀県)の
多賀大社にご鎮座されたのです。
こちらには伊邪那美命さまと共にご夫婦でお祀りされていらっしゃいます。
昔から、伊勢参り・熊野詣とともに、「お伊勢へ参らば、お多賀へ参れ、お伊勢はお多賀の子でござる」と、民間で歌われるほど、庶民のお参りも盛んでした。
長寿祈願の神さまとして崇敬されて、あの豊臣秀吉が、生母の長寿を祈りました。

また、伊邪那美命さまと最初に国生みされた
淡路島の「多賀」の地に、幽宮を構えられて、伊弉諾神宮に、お隠れになったともいわれています。
こちらも、伊弉諾・伊弉冉さまがご夫婦でお祀りされています。

ここから、思うのですが。
伊邪那岐命さまは、ただやんちゃで泣きわめいている息子に対し
“怒り狂って”「追放」されてわけじゃないのではないか……と。

父として、できることとできないこと。
妣のいる「死」の国へと行かせてやるには……

天津神のままでは無理だ。その身分を捨てて
もう「生」の国に戻らない覚悟でなら、どうであろう……。
他の神子たち、
高天原を司る娘・天照大御神と、夜を統治する月読命に
迷惑がかからぬように……。

そして、私自身が、天津神として、神のお役目を”終えて“いたなら……。

父神として、そこまでのご決心とご覚悟があっての、
肚をくくられての、ご自身の幽世と
息子の、あの世への「追放」

だったのではないかな~~

そう、感じたのでした。

「死」の世界をつかさどるグレートマザー伊邪那美命さま。
そして、伊邪那岐命さまは、葦原中つ国の「生」をつかさどる祖神さま。
多くの試練、困難、別れを乗り越えられて、
ご自身で、我が身とこころを清め、浄化されて成長された。
頑固そうだけれど、実は、
心優しきスケールの大きな父神
なのではないでしょうか。

あ~
偉大なる、日本初のご夫婦神
伊邪那岐命・伊邪那美命
(伊弉諾尊・伊弉冉尊)さま
私たちの祖神さまのお祀りされている
多賀大社と伊弉諾神宮へ
ものすごくお参りしたくなりました~。

伊邪那岐命さま 終わり。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。感謝!

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―次回へ

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