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「園相神社」倭姫命さま伊勢市のご巡幸巡り ことの葉綴り 九三四回

夕方になってしまった!


 
こんにちは。もう、おやつの時間の三時です。秋のお彼岸のおはぎを珈琲をいただきながら「ことの葉綴り」のひとときです。
暦ももう夕方になってしましますが、ご紹介!九月二十一日(水)は、六曜は「先負せんぶ」で、午後が吉。万事を平静に控えめにするとよし。十二直は「さだん」で、物事の善悪が定まる日。種まき、引越し、建築にもよし。二十八宿は「しん」で、婚礼などのお祝いごと、地鎮祭など建築ごと、祭祀に吉。そして、ご神事やお参り、ご先祖供養によい「神吉日」と、天が母のように私たちを慈しむ「母倉日」です。
遅くなってしまいすいません!
 

園相神社さん


来年「倭姫宮」百周年、本をつくる!!


 
さて、昨年から、天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまで、皇女の豊鋤入姫命とよすきいりひめのみことさまと、倭姫命やまとひめのみことさまが、御杖代みつえしろとなられて、各地で大神さまをお祀りされながらご巡幸された「元伊勢」についてご紹介しています。
 
そして、倭姫命やまとひめのみことさまは、斎王いつきのみことして、天照大御神さまを、五十鈴川の聖地にお祀りされて、伊勢の神宮の礎をつくられていきました。
やがて、歴代の未婚の皇女が、この斎王いつきのみこを受け継がれて、南北朝時代まで続きました。
母、娘、孫と三代で斎王いつきのみこに選ばれた人もいれば、権力闘争に巻き込まれた方もいたり、幼くして伊勢に入られて、若くして身罷られた人も……と、ご紹介してきました。
 
さて、今回から、再び、倭姫命やまとひめのみことさまに戻って、今から約二千年前に、の巡られたところをご紹介しようと思います。
 
なぜ、こんなに倭姫命やまとひめのみことさまについて綴っているのか?
興味もありますし、大好きですし、何より、日本人の魂のふるさとともいわれる伊勢の神宮に、天照大御神さまをお祀りされたこと、そして神宮のご神饌のほとんどを“自給自足”のシステムも造られたこと……功績は偉大なのに、意外と知られていないのは、もったいない!!!
来年、令和五年には、伊勢の神宮の別宮で、倭姫命やまとひめのみことさまがお祀りされている、「倭姫宮」が、ご創建百年を迎えます。
 
実は、来年に合わせて、倭姫命やまとひめのみことさまの「元伊勢」のご本をつくろうと準備しているのです!!(初めて書きました)。出版社も決まっています。しっかり励みます!
 

園相神社さん


倭姫命さまの伊勢市のご巡幸地巡りへ



 
昨年は、なかなか遠距離旅もできずで、ご巡幸地を巡れませんでしたが、今年、ようやく、何回かいに分けてご巡幸地巡りもしているのです。
 
というわけで、今回、ご紹介するのも、天照大御神さまが、「この神風の伊勢の国は、常世の浪の重波帰しきなみよする国なり、傍国かたくに可怜うまし国なり、この国にらんとおもう」と、伊勢にお祀りされることを望まれて、倭姫命やまとひめのみことさまが、伊勢の中でも、永久にお鎮まりになる宮処を探し求められます。
 
いっときは「瀧原宮たきはらのみや」にお祀りされますが、「この地は私が望むところではない」と、ご神託を受けて、再び、神宮の候補地を探し求めるご巡幸に続けられました。
 
そして、南伊勢の度会町わたらいちょうを巡っていかれました。
 
そして、土地を潤す水の神、五穀の神の久求都彦くぐつひこが参上してきました。
 
そして、「よい大宮にふさわしいところがございます」と、倭姫命やまとひめのみことさまをご案内します。するとそこの園作神(庭園を造る神)が参上してきて、とてもよい御園地を献上しました。
 

園相神社さん


木立に降りる光が美しい「園相そない神社」さん


 
そこは、宮や屋敷を立てるのに使用する萱や稲穂が生えているよきところでした。
倭姫命やまとひめのみことさまは、たいそう喜ばれて、「園相そのふ社」をお定めになりました。
 
それが、三重県伊勢市津村町にご鎮座する「園相そない神社」さんです。こちらは、伊勢の神宮の内宮こと皇大神宮の摂社となります。
 
県道沿いに、お宮の入り口がありました。
「園相神社」石碑もみつけました。


 
木立の中の参道を進みます。林の中に、天から空から光が降りてきていて、清らかさに満ちる鎮守の杜です。
 
ぜひ、写真でこの清らかさ、味わってくださいね。


園相神社さん


 
―次回へ
 


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