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祇園祭 素戔嗚尊様「疫病退散」お願いします!ことの葉綴り。其の百二三

半夏生はタコを食べる?

こんにちは。今日から文月、7月。一年も折り返しですね。
今日も仕事の合間の夕方、「ことの葉綴り。」に向かいます。

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今日は暦の上では、二十四節季の「夏至」から数えて11日目。
夏至の中の最後の七十二候「半夏生」(はんげしょう)になります。
半夏とは、この季節に生える薬草「烏柄杓(からすびしゃく)、
または、白い花の咲く「片白草(かたしろぐさ)」という説があります。
この時期、昔から、田植えが終わるころで、
この半夏生までに、田植えが終わっていないと収穫が減るとも
言われたそうです。
そして、田植えという大仕事を終えた農家さんは、
この時期、農休みになります。
そして水田に、田の神様をお祀りし、
お神酒や、麦の団子をお供えして、
稲穂が育つように祈るのです。

関西地方では、稲の根っ子が、タコの足のように
四方八方に根が伸びて稲穂が豊かに実るようにと、
この半夏生の日には、タコを食べる風習があるそうですよ。

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三大祭の神様で、悪疫退散

そして、京都では、夏を告げる「祇園祭」が始まりました。
日本三大祭の一つです。
ちなみに三大祭は、
京都の八坂神社さんの「祇園祭」。
7月1日~31日・ご祭神は、素戔嗚尊(スサノオノミコト)
大阪の大阪天満宮の「天神祭」
7月24日、25日。ご祭神は、菅原道真公


東京の神田神社「神田祭」(2年に一度5月に)は、平将門公と、
どれも、たいそう強力な威力をお持ちの神々が、巡幸をして
悪疫を鎮める怨霊鎮めのお祭りなのです。


祇園祭は、平安時代の869年清和天皇貞観十一年に、
京の都をはじめ全国に、疫病が大流行したため、
疫病退散のために、平安京の神泉苑
当時の国の数66本の「矛(ほこ)」を立てて、
祇園の神様をお祀りし、お神輿を出して
災厄の除去を祈る、「御霊会」をおこなった
のがはじまりです。
古くは「祇園御霊会」とも呼ばれていました。
お祓い、山車、鉾(ほこ)、風流踊を中心に
日本の夏まつりのさきがけにもなりました。

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「祇園祭」がはじまった!

今年は、コロナの影響で、山鉾の巡行と
お神輿の渡御は、残念ながら中止ですが、
「祇園祭」は、一月にわたりおこなわれます

1日は、祭礼の決定とご神事の打合せ「吉符入(きっぷいり)」
八坂神社の町内の役員さんが、稚児と禿(かむろ)と一緒に
八坂神社さんに参拝する「長刀鉾町お千度」がおこなわれます。

そこから、7月31日の境内末社の「疫神夏越祭」まで、
一月間、さまざまな神事がとり行われます。

この最後の「疫神夏越祭」のいわれは、
ご祭神の素戔嗚尊(スサノオノミコト)さまが、
南海に旅をされたときに、一夜の宿を、蘇民将来に請いました
蘇民将来は、粟でつくった食事で心を込めたおもてなしをします。
素戔嗚尊さまは、その真心を喜ばれ、
「疫病流行の際には、『蘇民将来子孫也』の護符を持つものは
疫病から免れる」と、約束された
のです。
この由来にちなんで、「祇園祭」では、
お祭りに奉仕する人は、
「蘇民将来子孫也」の護符を身に着けるそうです。

そして一月間のお祭りの最後の締めくくり、
八坂神社の境内社で、蘇民将来をお祀りする「疫神社」の鳥居
大きな茅の輪が設けられます。
この茅の輪をくぐり、厄気を祓い、
「蘇民将来之子孫也」の護符を授かる
「疫神社夏越祭」で、幕を閉じるのです

あ~京の夏、祇園さん、お参りしたい~!!!
令和2年、コロナ禍の中、
素戔嗚尊さま、何卒、疫病退散、お願いいたします!!!

須佐之男命さま(素戔嗚尊)の物語も、よければ、合わせて読んでみてくださいね。


ちなみに八坂神社さんの境内には、「美御前神社」もあり、
御神水が湧き出ています。
美肌はもとより、心から美しく磨かれる
「美容水」
と、呼ばれています。

皆さんも、機会があれば、八坂神社、お参りしてみてくださいね。

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―次回へ。

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