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二千年前 倭姫命様が定めたい神宮摂社!元伊勢七八 神話は今も生きている ことの葉綴り四〇七

伊勢の神宮の「摂社」とは?

こんにちは。お天気の良い春のお休み、いかがお過ごしですか?
私は長旅の疲れで、早速、神話の物語に入ります(苦笑)。

※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。

伊勢の国にいようと思ふ」と、天照大御神さまの御こころを受けて、倭姫命さまは、「伊蘇(いそ)の宮」に、皇太神(すめおほかみ)さまをご鎮座申し上げました。
 そして、南の山すそをご覧になり、「さらに皇太神(すめおほかみ)さまの宮処としてふさわしきよきところがあるように思ふ」と、
外城田川(ときたがわ)から小船にお乗りになり、伊勢の国をご巡幸されていきます。
 倭姫命(やまとひめのみこと)さまは、外城田川(ときたがわ)の神の子の速河彦命(はやかわひこのみこと)と出会われて、「速河狭田神社」をお定めになりました。
 そして、この「速川狭田神社」は、「狭田国生(さたくになり)神社」と言われており、伊勢の神宮の125社の「摂社」の一社だとご紹介しました。

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伊勢の神宮125社の「摂社」「末社」「所管社」

 この「摂社(せっしゃ)」についてご紹介しますね。
今、天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされるまでの物語を綴っていますが、伊勢の神宮の正式名称は、「神宮
神宮は、天照大御神さまをお祀りする「内宮」こと、「皇大神宮(こうたいじんぐう)」と、豊受大御神(とようけのおおみかみ)さまをお祀りする「外宮」こと「豊受大神宮」の「ご正宮(しょうぐう)」があります。
 さらに、この物語の主役である、倭姫命さまをお祀りする「倭姫宮(やまとひめのみや)」や、元伊勢の「瀧原宮(たきはらのみや)」、「月読宮(つきよみのみや)」などの「別宮(べつぐう)」と書いて、わけみやという意味のお宮が、十四宮あります。
ご正宮につぐ、格式の高いお宮、内宮に十宮、外宮に四宮となります。
そして、125社の半分以上は、「摂社」「末社」「所管社(しょかんしゃ)」となります。

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さまざまな形で祀られる「所管社」

まず「所管社(しょかんしゃ)」は、御正宮(ごしょうぐう)や別宮(べつぐう)に、所縁がある、井戸やお酒、お米、お塩、絹などの衣食住を司る神さまがお祀りされています。
皇大神宮(内宮)には、三十社外宮には、四社、別宮の「瀧原宮」に三社、「伊雑宮(いぞうのみや)」に五社、計、四二社あります。
外宮・内宮にある「四至神(みやのめぐりの神)」や、
内宮の五十鈴川のほとりにご鎮座する、「瀧祭神(たきまつりのかみ)」さまが、この「所管社」で、石畳みの上にお祀りされたり、ご社殿がったり、形もさまざまです。

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倭姫命さまがご巡幸で定めた「摂社」も!

そして、「摂社」は、由来と歴史が三種類に分けられるのです。
一つは、天照大御神さまが、伊勢の神宮にお祀りされる前から、その土地を守ってこられた神さまがたです。

二つ目が、この「元伊勢」の物語とともに登場する、倭姫命さまが、ご巡幸されて、天照大御神さまを伊勢の地にご鎮座されるときに、お定めになった神社です。
前回の、「速川狭田神社」こと「狭田国生(さたくになり)神社」もその一つです。

三つ目は、天照大御神さまが伊勢の神宮にご鎮座なさった後、五百年のちに、「豊受大神宮」がご鎮座されるときに、ご一緒に定められた神社です。
どれも、古代、公の官社としての名簿『延喜式神明帳(えんぎしきじんめいちょう』に載っています。

末社」は、この名簿『延喜式神明帳(えんぎしきじんめいちょう』には載ってはいませんが、804年につくられた伊勢の神宮の祭祀を記した『延暦儀式帳(えんりゃくぎしきちょう)』には記載のある神社で、内宮に十六社、外宮に八社あります。

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神宮の“生きる”二千年

天照大御神さまがご鎮座なさる「宮処」ではありませんが、倭姫命さまのご巡幸に際して、神社として定められて、今も、神宮の「摂社」となっている神社が物語に登場しています。

二千年前に、倭姫命さまが、お定めになったお社が、今も、神宮としてご鎮座しているのです!!!
過去の遺物ではなく、今も、お祀りされる聖地なのです!!
神話の物語が、今にも生きている、ってそれをお参りできるって、幸せですよね。嬉しいですよね。

神宮には「125社参り」もあります。
こちらも、一生に一度は、全部お参りしてみたい~~!!

―次回へ
#一度は行きたいあの場所

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