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海の老人 塩土老翁神 海幸山幸5 神様も“失敗”して成長した ことの葉綴り。百六七

コレって、うつっぽい?

おはようございます。朝「ことの葉綴り。」のひとときです。
“サボリ屋”にとり、朝この時間を持てる日はありがたいな~って思います。

今日も、海幸彦・山幸彦の物語の続きです。

兄の海幸彦の釣り針を失くした山幸彦。
心をこめて償おうとしても、兄はまったく許してくれません。
ただ「元の釣り針を返せ!!」の一点張り。
海幸彦の心は固く鉄のように閉ざされたようです。

自分の大切な十拳剣で、丹精を込めて釣り針を千本作ってもダメでした。見向きもしてもらえませんでした。


もう、にっちもさっちもいきません。
兄との関係も最悪です。
これまで、こんな落ち込んだことはありませんでした。
山幸彦にとって、人生最大のピンチでした。
元はと言えば、「兄と道具を交換して、違う世界をみてみたい!」
そう言いだしたことから、始まっています。
山幸彦は、どれほど自分を責め後悔したことでしょう。


もう、何をする気も起きません。
ただ、ぼう~っと海を見ていても
涙がでてくるだけ
です。

もう、ここのところ眠れなかったでしょうし
食事も喉を通っていないでしょう。
わけもなく涙が溢れてくるし
「ぜんぶ自分のせいだ」と、自己を責めて……
気持ちも落ちこんだまま……


と、書いていて、気づきました。
コレ、現代の私たちに置き換えると、“うつ病”の症状ですよね。

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優れたセラピスト 塩土老翁神

そんなときです。どん底の状態の山幸彦の前に
ある神さまが現れました。

海の潮路を司る塩椎神(しほつちのかみ)こと、塩土老翁神でした。

これは、御子の山幸彦どの、どうされたのです?
何を嘆かれているのです?

これは、塩土老翁のじいや~。

その年老いた塩土老翁神の、深い叡智に満ちた姿を見ると
山幸彦さまは、ピンとはっていた心の糸もゆるみ
これまでの経緯と、許して盛らないこと、誰にも相談できない自分の想いを、吐露することができた
のです。

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塩土老翁神は、ただ黙って隣に腰かけて、山幸彦の話に聞き入ってくれました。

山幸彦も、初めて他の誰かに心を許して語り終わると
はぁ~ふぅ~
と、緊張がほぐれて、ため息のような息を吐き出せて、
少しほぐれた感覚
を感じました。

もうトンネルの中で、どこにも行き場もない真っ暗闇にいた感覚から、トンネルの出口が見えた気がしたのではないでしょうか。

山幸彦が、どん底で出会った塩土老翁は、
まさしく優れたセラピストでもありました。

同時に、私たちが覚えておきたいこととして、
誰もの心の中にある神聖さです。神の御霊の一部。
どれほど落ち込んだときでも、絶望の淵でも、
けっして消えることなく汚されることなくただ在る神聖さ。
自らの神聖さとのつながり。
それは、決して消えはしないということ
……。
そんなことも、浮かびました。

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海の老賢者の神

ユング心理学の河合隼雄氏も、『神話と日本人の心』の中で、こう述べています。


ホヲリ(山幸彦)の前に現れたシホツチ老人は興味深い存在である。

このような「海の老人」は、ギリシャ神話にもよく出てくるとし、

いろいろな名前で呼ばれている別々の神さまが、ギリシャ神話に出てくるが、それらは全部共通してハリオス・ゲロン「海の老人」と呼ばれているので、もとは「海の老人」という一つの神格があった。
「それらの海の老人たちは、すべてが非常な知恵者で、しかも海というものの変幻自在性から来ていると思うんですが、あらゆるものに姿を変えることができる。だが、だれかがそれをしっかりとつかまえて何に変身しても離さずにいれば、しまいに何でもそれから聞き出すことができるとされている」

と、吉田敦彦氏の言葉を引用したうえで、

このような「海の老人」の姿などは、心理療法家のひとつの理想像のようにも思えてくるが、それはさせておき、日本神話に話を戻そう……。


山幸彦が、絶望の淵で出会った海の老人・塩土老翁神さま。

山幸彦の話を聞き終えると、その眼を優しく見つめると
こう仰いました。

そうでしたか。それは、それは大変でしたね。
御子どの、ご心配なさいますな。
この爺が、御子さまのために、よい工夫をしてさしあげますぞ…。

そして、目じりに深いしわを見せながら、何とも言えない慈愛に満ちた柔和なお顔で微笑まれたのでした。

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―次回へ。

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