朝日輝く!立春大吉 元伊勢十四 神話は今も生きている ことの葉綴り三四〇
立春大吉の朝
こんばんは、今日は立春大吉でしたね。
朝、お参りしたときの朝の光が、春めいていて、気温は低いですが、「あ~春が立ってる~」と嬉しくなりました。写真はすべて立春の朝の光です。
そしてお仕事の合間、夜になりましたが、神話の物語に向かいます。
伊勢の神宮に天照大御神さまがお鎮まりになるまでのご巡幸の「元伊勢」の物語。
吉備の国 名方濱宮(なかたのはまのみや)
第十代、崇神天皇(すじんてんのう)の皇子、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまは、天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となり
倭の笠縫邑(かさぬいのむら)で33年、
丹波の「吉佐宮(よさのみや)」4年間、
倭の「伊豆加志本宮(いつかしのもとみや)」で8年間、
木國(紀伊)の「奈久佐濱宮(なぐさのはまのみや)」で3年間、
そして、次に吉備の国、「名方濱宮(なかたのはまのみや)」で、天照大御神さまをお祀りしました。
岡山の“お伊勢さん”こと「名方濱宮(なかたのはまのみや)」と言われているのが岡山市にご鎮座する「伊勢神社」さんです。
ご祭神は、天照大御神さまと豊受大神さま。
本殿にお祀りされる天照大御神さまだけではなく、十五の末社に、伊勢の神宮に関わりのある神様もお祀りされています。
境内には、おがたまの木があるそうです。
この木は、天照大御神さまの「天岩戸」物語で、岩戸の前で舞を踊った天鈿女命さまが手に持っていた木です
同じ岡山市にある「内宮(ないぐう)」という神社も、「名方濱宮(なかたのはまのみや)」ではないかと言われています。
こちらは、天照大御神さま、倭姫命さま、大己貴命さまがご祭神です。
崇神天皇(すじんてんのう)の四道将軍
でもなぜ、倭、丹後、木国(紀伊国)から、吉備の国まで、ご巡幸されたのでしょうか?
実は、こんなご縁がありましたよ。
吉備国は、第七代孝霊天皇(こうれいてんのう)の御代に
皇子だった、大吉備津日子命(おほきびつひこのみこと)と
若建吉備津日子命(わかひこたけきびひこのみこと)の兄弟二柱が、吉備国を平定しました。
そして大吉備津日子命(おほきびつひこのみこと)は、吉備の上つ道臣の祖となり若建吉備津日子命(わかひこたけきびひこのみこと)は、吉備の下つ道臣の祖となります。
※大吉備津日子命と若建吉備津日子命の兄弟の吉備への派遣の物語はこちらをご覧ください。「桃太郎伝説」とも関わりがありおもしろいです。
そして、豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)さまの父である第十代崇神天皇は、全国の平定のために、信頼している叔父の大毘古命(おおびこのみこと)とその息子の建沼河別命(たけぬなかわけのみこと)、弟の日子坐王(ひこいますおう)を地方へと遣わせました。
そして、孝霊天皇の御代に吉備の国を平定された
大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)合わせて
「四道将軍」と呼ばれるようになりました。
※「四道将軍」の物語は、こちらをご覧ください。
こうした、平定された土地であることが、天照大御神さまのご巡幸に際して、安心して迎える土地だったのかも……と、感じたのでした。
いかがでしょう?
―次回へ
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