孤高の悲しみ 崇神天皇 神話は今も生きている ことの葉綴り。二七六
師走!
こんにちは。今日は久しぶりに夕方、西日が出ているうちから、
「ことの葉綴り。」の神話の物語に向かいます。
崇神天皇の御代
叔父で舅の大毘古命(おおびこのみこと)と日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)の一行は、反乱を企てた同じ叔父である建波邇安王(たけはにやすのみこ)と、河を挟んで挑み合いました。
そして、副将の日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)の放った、戦いの開始の合図となる、神聖な清め矢が、建波邇安王(たけはにやすのみこ)の胸を射抜き、勝敗は瞬くまについたのです。
あまりの急展開に、建波邇安王(たけはにやすのみこ)に付いていた反乱軍の兵士たちは、散り散りに逃げ出していきます。
大毘古命(おおびこのみこと)と日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)の軍勢は、逃げていく者たちを追い詰めていきます。
悲しい地名の由来
反乱軍のものたちは、必死に逃げ出しましたが恐怖のあまり、失禁し、屎(くそ)ももらして、袴を汚していきます。
そのことから、その場所は「屎褌(くそばかま)」と呼ばれ
それが転じて、「久須婆(くすば)」となりました。
この出来事は起きたのは、現在の大阪府枚方市の樟葉(くずは)のあたりだと言い伝えられています。
大毘古命(おおびこのみこと)と日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)の軍勢は、逃げていく兵士たちを、とことん追い詰めていきました。
“天皇暗殺” の反乱軍に参加したものたちを、見逃すことなく、逃げる軍を遮って斬っていきました。
建波邇安王(たけはにやすのみこ)の味方についたものたちは、ほとんどのものが命を落としていきます。
イメージするだけでも、かなり悲惨な状況です。
『古事記』には、こうあります。
またその逃ぐる軍を遮りて斬れば、
鵜の如く河に浮きき。
故、その河を號けて鵜河と謂ふなり。
なんと……。
命を落とした反乱軍の兵士たちの亡骸は
河に鵜のように浮かんだ……。
そこから、鵜河と呼ばれた……。
そうあります。
すごい由来ですね。
なんだか心が痛いですね。
さらに、こう続きます。
またその軍士(いくさびと)を斬りはふりき。
故、其地を號けて
波布理曾能(はふりその)と謂う。
この河原で、軍士だったものたちを
屠り殺した……。
斬り殺すしたということですね……。
壮絶……。
勝利と孤高の悲しみ
でも実はそれだけ、大毘古命(おおびこのみこと)は、
母の違う弟の建波邇安王(たけはにやすのみこ)が起こした
”天皇暗殺“の裏切りの企てに、心を痛めて、やるせなさと悲しみとショックを受け絶望をしたのかもしれませんね。
「二度とこんな反乱が起きてはいけない!!」
と、必死だったのかもしれません。
こうして反乱軍を一網打尽にし、天皇暗殺を未遂に終わらせた大毘古命(おおびこのみこと)は、崇神天皇に急ぎ、使者を送り、山代の地を平定したことを報告したのでした。
あまりにも悲惨な、多くの血を流した河辺に立ち、
大毘古命(おおびこのみこと)は、何を思ったのでしょうね。
人の命の儚さと……
なぜ、お前は、どこで、道を踏み間違えたのだ?!
なぜ、神に背くまで心を穢したのか?
戦わねばならなかった弟への無念と……
天皇の御代を無事に守れた気高き誇りと……
一人、孤高の大将として河辺に立ち
行く河の流れを眺める
深い皺をにじませた大毘古命(おおびこのみこと)の姿が
瞼にうつるのは、私だけでしょうか?
そして、敵方の建波邇安王(たけはにやすのみこ)を、神聖な清め矢、一矢で勝負をつけた、クールな副将の日子國夫玖命(ひこくにぶくのみこと)は、大将の想いを組んで、きっと言葉をかけずに見守っていた……。
勝負に勝ったとはいえ、孤高の静けさと悲しみがなぜか伝わってくる物語なのでした。
―次回へ
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