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今も生きる「自然の神々」への祈り 伊邪那岐・伊邪那美さま⑬ことの葉綴り。其の六四

伊邪那岐伊邪那美様がお産みになった自然の神々

おはようございます。超サボり屋が今朝もnoteに向かいます。
現在、物語は、国生み・神生みの段で、神様の名前に漢字が多いのですが、どうか、「そんなにも八百万の神さまが多いのだ」と、思ってください。
神様も失敗をして成長した物語……
“経験”は人の生きる力を養っていく……。

さて、初のご夫婦神となられた
伊邪那(いざな)岐(ぎ)・伊邪那(いざな)美(み)さま。
私たちの国土の「国生み」をなされて
次に、私たちが暮らすための家屋の神さま、
海、川、水、風、樹木、山、野
と、森羅万象の大自然のさまざまな神さまの、
「神生み」をされました。

この誕生された、どの神さまにも、
伊邪那岐・伊邪那美さまが
「別天つ神」(ことあまつかみ)より委ねられた
「修理固成(しゅりこせい)」使命があり、
宇宙の大元の神さまからの
「いのち」と「ひかり」を受けています。

森羅万象の神々、どの神さまにも、
そうした、清らかな「ひかり」が輝き
「いのち」が煌めいている。

そして、古来の人々は、自然を「敵」とはしていません。
猛威をふるうことがあっても、
その恵みを私たちは受けて生きている。
「共生」のこころの根源が
この神生みからも感じられます。

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東日本大震災で感じた神道のこころ

そして、この自然と共に生きる
この精神は、今も受け継がれています。
今朝は、そのことを紹介したくなりました。

9年前、私たちが経験した
東日本大震災。
そのとき私は、東北の神社を巡り
そこで、何が起きていたのか?
日本人のこころが、どう発露したかを
現地に赴き、神社の宮司さん方に
お話を聞かせていただき
『光に向かって 3.11で感じた神道のこころ』(晶文社)
という一冊の本にまとめました。

そのとき、地震と津波に合われた
神社の方々の、お言葉、こころに驚きました。
なぜなら

「”あたり前”として自然の力を受け取る」

「海と共に生きる。神様への文句はない」

そう、皆さんが
「ありがたい」
という言葉を口にされたのです。
驚きました……。

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言い伝えで250人の命が救われた!

宮城県の石巻の「伊去波夜和氣命神社」
(いこはやわきみこと神社) 宮司大國龍笙さん。

こちらのお宮は海岸から何百メートル。
おみょんつぁんと、地元の方に親しまれるお宮。
昔から「津波さあると、おみょんつぁんにあがれ」
「地震さ、津波さあると、ここに寄れ」と
言い伝えがありました。

そして、この言い伝えを守った氏子さん、住民
250人が、こちらの神社の拝殿や廊下に避難して
千年に一度の津波から、一命を取りとめたのです。

宮司さんは、境内にある自宅の2階から津波を見ていました。
すると、「境内で、津波が渦を巻いた」そうです。

神社に残った氏子さんたちと共に、
水も食事もせずに、火で暖をとり。
生まれたての赤ちゃんがいて、みんなで抱っこしあやし一晩過ごしました。

この地区は、被害がもっとも甚大で
ガレキも多く、なかなか助けもきませんでした。

やがて、娘さんの家に避難した大國宮司さん。
翌朝、その家の窓から昇る朝日に目を奪われたのです

「山から静かに朝日が昇ってきてね。
万石浦の海面に太陽の光が映し出されて輝いた。
その海面の真ん中が黒く輝き
私には、まるで、それが『八咫の鏡』に見えました。

いや~あれほど神々しく美しいものを
私はこれまで見たことがありませんでした。
人生で初めてです。
あの太陽を見て思いました。
太陽が海面や山の頂きや
なにか映し出されたものを見て、
古代の人は、『八咫の鏡』といったのだろうか」

気がつくと大國宮司さんは、その朝日
「八咫の鏡」に向かい手を合わせ静かに拝し
そして、涙していたそうです

東北の神社を巡り、どの神社の方からも
3.11の翌日の朝、12日に昇った朝日が
「異様なほど美しかった」という言葉を
耳にしていました。

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東京で見た、9年前の3月12日の朝日も
美しかったのを覚えています。

そして、大國宮司さんは、こう続けられました。

「あの太陽を見たというのは幸せだ」と。

「でもね、自然がだよ。あれだけ津波で荒れた自然が、
美しすぎる輝きを見せる。
そして、再び元に戻ると静かな海ですからね」

「そう、自然は大きい。
私たちは、足元にも及ばないのさ」


自然の猛威さえ「あたり前さぁ」……。

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やがて二カ月後の5月5日の神社のお祭り
境内のガレキに埋もれていた、折れた桜から
花が咲いたそうです。

「根っこはない。不思議です。それを自然と呼ぶのか。
神と呼ぶのか……感動します。
人間には絶対、作れねえもんな。
うん、それがみんな神さまということなんでしょうけどね」

伊邪那岐・伊邪那美さまがお産みになった
八百万の神々。

神とは、この世界にあるすべての事、
物の働きで、
人間はその働きに、「聖」なるものを感じ取り
名前を奉ってお祭りしています。今も……。


大國宮司はさらに、こんなお話も……。

海に近いこのあたりの人たちは、
先祖代々、みんな海に関わり生活を営んできた。
海や自然から、何かしらの恩恵を受けて暮らしている。
「ぜんぶ、海のおかげでくらしてきた。
けれど、人間から海へのお礼はないんだよね。

海よ、ありがとう。
その感謝の思いを伝える場所がないから
古代の人たちは、その“代替”として
感謝の気持ちの発露としての神社を建てて
『ありがとうございます』と、
祭をおこなってきた。
それが本来の神社じゃないかって思うんです」


海とともに生きてきたからこそ
地震、津波への恨みはないとも仰いました。
「自然の神様がやったことだから、
神様への文句は全然ないさ。
神道の神社は、自然の働きを神様と呼んでいます。
今回の震災でも暴動がおきなかったのは、
自然のすることを、『あたり前』と、受け取ることが
できたからだと思うんです。
そう、自然の猛威さえ、『あたり前』なんですよ」

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大自然の猛威と美……そのものが、神さま。

「きっと、古来の人たちにとって
感謝の気持ちを伝えるのに
山でも、海でも人でも、
その対象は、なんでもよかったんだろうね。

日本人は、脅威として感じているものや、
人間を超越したものに、神を感じているんです」

お米一粒、水、電気のありがたさを感じた。
多くのボランティアも、神社に来てくれた。
それは、日本語では「奉仕なんだべな」と笑う。

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そして、亡くなられた御魂の鎮魂の祈りを捧げられていた。


大國宮司の笑顔、お話から
天地自然に生命があり、
国土にも生命があり、
そして人々にも生命があり、
すべてのものは
繋がっている。

話を聞きにいった私の方が、「ありがたさ」を
身に染みていました……。

ちょうど、今朝、伊邪那岐・伊邪那美さまの
神生みの物語を書いていて。

森羅万象の自然の神々のことから
この9年前に、
日本人が経験した
自然の猛威も美しさも
神さまなのだと
共生して生きていらっしゃる
宮司さんの宝物のような言の葉を思い出しました。

東北の神社で発露した
神道のこころ……。
それを、今朝は、綴らせていただきました。

最後まで読んでくださって、
本当にありがとうございます。

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―次回へ


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