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灌漑用水を守る神、俵十八表の奉納 元伊勢七九 神話は今も生きている ことの葉綴り四〇八

倭姫命さま、外城田川(ときたがわ)のご巡幸

こんにちは。新しい週のはじまり。いかがお過ごしですか?
私は、今週・来週と”短めバージョン”で、なんとか、乗り切れるといいなと思ってます。すいません!宜しくお願いします。
さぁさっそく、神話の物語の続きに入ります。

※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。


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倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、皇祖神の天照大御神さまの御杖代(みつえしろ)となり、各地をご巡幸されて、伊勢の神宮にお祀りされるまでの物語。

伊勢の国に入られて、「伊蘇(いそ)の宮」に天照大御神さまをご鎮座申し上げました。それでも、「さらによき宮処」を求めてご巡幸を続けられています。
この伊勢のご巡幸で、出会われた神も、その土地にお社をお定めになっていきます。
それが、伊勢の神宮の125社ある中の「摂社(せっしゃ)」として、今もお祀りされていることを、前回ご紹介しました。
125社参り、すべてお参りしてみたいですね!!

さて、倭姫命さま、川を進んでいかれます。
今度はどんな出会いがあるでしょうか。

其の処従り幸行(みゆ)きするに、高水の神参り相ひき。
「汝(いまし)が国の名は何そ。」と問ひ給ふ。
白さく、「岳(をか)高田深逆手の国。」と白して、田上の御田を進りき。其の処に坂手の社を定め給ひき。
其の処従り幸行(みゆ)きするに、河尽きき。
其の河の水寒く有りき。則(すなは)ち寒河と号(なづ)けき。
其の処に御船(みふね)留め給ひて、則ち其の処に御船の神社(かむやしろ)を定め給ひき。

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内宮の摂社「坂手国生神社」

伊勢を流れる外城田川(ときたがわ)の神の子の速河彦と出会われて、「速河狭田神社」(今は、「狭田国生(さたくになり)神社」さんと比定されています)をお定めになった倭姫命さま。
こちらの狭田(さた、玉城町佐田とされます)からさらに行幸をなさいました。
そのとき、高水の神さまが、倭姫命さまに、参上して参りました。
倭姫命さまが、「あなたの国の名はなんというのですか?」と、お尋ねになります。
高水の神が申し上げるには、「はい。私は、岳(をか)高田深(おかたからふか)坂手(さかて=田上村の一部)の国でございます」とお答えになり、高水の神は、倭姫命さまに、田上(たかみ)の素晴らしい稲田を進上いたしました。
倭姫命さまは、この田上の地に、「坂手の社」をお定めになりました。

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灌漑用水を守る高水の神

こちらは、三重県度会郡玉城町の「坂手国生(さかてくになり)神社」と比定されています。
この神社も、伊勢の神宮の内宮の摂社です!
ご祭神は、このとき、倭姫命さまが出会われた、高水上命(たかみなかみのみこと)さまです。
この地域の、稲づくりに欠かせない灌漑用水をお守りになる神です。
また、この地域は、明治維新頃まで、内宮のご神田として、毎年、お米十八俵を、神宮に奉納していたといいます。


二千年前から、明治に入るまで、倭姫命さまに進上された御神田で、高水の神さまが見守られる中、稲作が行われていたのですね。そして毎年毎年、新穀を十八俵も、神宮にお供えしていたのもすごいですね。

伊勢のJR「参宮線」の「外城田(ときた))駅と「田丸」駅の間あたりにご鎮座していますよ。

さて、倭姫命さまのご巡幸はまだ続きます。
ふう~今日はなんとか綴れました。ありがとうございます。

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