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御船代は神が宿る石 倭姫命版ヒーローズジャーニー⑧ ことの葉綴り九七四

倭姫命さまヒーローズジャーニ⑧

おはようございます。秋晴れが続きそうな日曜日。
十月三十日……とはいえ、朝晩は冷えますね。
皆さん、楽しい休日をお過ごしくださいね。
私は、移動前の「ことの葉綴り」の朝のひとときです。

今から二千年前天照大御神さまが永久にお鎮まりになる宮処を求めて、垂仁天皇の皇女倭姫命やまとひめのみことさまがご巡幸された旅を、神話の法則「ヒーローズジャーニー」の視点から眺めています。
神話の法則は、大きく分けて、①分離「旅立ち」→②移行「試練 通過儀礼」→③帰還(英雄として)の流れがあり、これは、ヒーローとなる主人公の内面的な「成長物語」でもあります。
 
さて、倭姫命やまとひめのみことさまが、叔母の豊鋤入姫命とよすきいりひめのみことさまから、御杖代みつえしろを受け継がれて、(「天命を知り」旅立ちを決意されて)天照大御神さまのご神意のままに、ご巡幸地で二年、四年と、大神さまにお仕えし、ご神事をしながら、各地をご巡幸されていきます。

現在は、
4 守護者(メンター)や、賢者、仲間との出会い

②    試練 通過儀礼、移行
5 ドラゴン、悪魔、敵、恐れとの戦い 試練

の旅の移行期となります。


琵琶湖

船の持つ意味 移動手段と備え

大和国→伊賀国→淡海国(近江)→美濃国と、旅が進むにつれて、川から河川、琵琶湖、そしてまた揖斐川、木曽川へと、小舟だけでは進めなくなり、旅の移動において、”安全面での試練”も訪れていたと思います。

美濃国「伊久良河宮いくらかわのみや」(現在の岐阜県瑞穂市居倉の「天神神社」さんが比定地)にご巡幸されたころには、倭姫命さまの父である垂仁天皇さまの御世十年、大和国から旅に出られてから、すでに十八年の歳月が流れていました。


伊久良河宮いくらかわのみや」の近くには揖斐川が流れていますが、ここは水害が多かったようで、揖斐川を下り、今度は木曽川沿いの、尾張国「中嶋宮なかじまのみや」(愛知県一宮市今伊勢町の「酒見神社」さんが比定地)へと、遷られていきます。

伊久良河宮いくらかわのみや」とされる「天神神社」さんには、天照大御神さまのご神霊が宿る「御船代石みふなしろいし」が、今も祀られています。

船には、倭姫命さまはじめご一行が乗る「」。
こちらは、ご巡幸地の人々が、丸太を伐り出し船を築造し献上した「船」。
また川による洪水の多いこの地域には、古来、「」が用意されて、川の氾濫に備えていたそうです。
旅の移動手段でもあり、自然災害に「備える」ためのものでもありました。

そして、もう一つの意味があるそうです。


神さまが宿る「御船代石」

古には、伊勢の神宮(皇大神宮の神宮)の、天照大御神さまのご神体は、八咫の鏡と、黄金の御樋代みいしろの中に入っていらっしゃったそうで、二十年に一度、おこなわれる式年遷宮のたびに、新しい御樋代みいしろをつくり、さらに大きな「御船代みふなしろ」にいれて、伊勢の神宮の神官の禰宜さんさんたちが担いでお遷しされていたといいます。
古代の船は、のことを船といい、桶、いれもの。容器のこと……でもありました。

御船とは、天照大御神さまの、「御船代みふなしろ」のことを言っているのではないかとされています。

写真の「御船代みふなしろ」をご覧ください。(隣は「倭姫命腰掛石」)

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そういわれると、人が乗る大きさというよりは、天照大御神さまが“お乗りになる” 「御船代みふなしろ」と、いわれたほうが、「なるほど~」という大きさに感じませんか?

『倭姫命世紀』のご巡幸に登場する、「御船」は、倭姫命やまとひめいのちさま方ご一行が、実際に乗船し旅する船とともに、天照大御神さまの「御船代みふなしろの意味もあるのかもしれません。

倭姫命やまとひめいのちさまのご巡幸は続きます。
次に伊勢の国に入り、さらなる仲間との出会いが待っていました。

―次回へ

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