天の石屋戸 天照大御神 須佐之男命⑦ことの葉綴り。其の百
百回目を迎え感謝です。
おはようございます。「ことの葉綴り。」おかげさまで、今回で
百回目を迎えました。
長文で、漢字も多い、神話の物語や、神道のこころを伝えるエッセイと、決して派手ではない内容の連載に、目を通していただきありがとうございます。このご縁に感謝です。
“神様も失敗して成長した”
日本の神話の八百万(やおよろず)の神さま、決して完璧・完全な絶対神ではなく、私たち人間と同じように、悩み苦しみ、ケンカもされて、“失敗”に思える経験を糧に、偉大な神へなられる「成長物語」でもあります。
天照大御神 姉の苦悩
伊勢の神宮におまつりされている皇室の皇祖神である
天照大御神さま。
太陽の姫神さまで、高天原を統治されていましたが、
マザコンで暴れん坊の弟神の須佐之男命さまがやってくると
「高天原を奪いにきたのやもしれぬ」と
男装の武装姿で、雄たけびをあげられました。
若き姫神ですが、高天原を守るために必死だったのでしょう。
その後、「誓約(うけひ)」により、
姉弟、それぞれが神生みをされます。
須佐之男命さまは、「私の清らなこころが証明された」と
一気に、調子にのり、暴力、乱暴のやり放題。
そのとき天照大御神さまは、
姉として、弟を咎めることはせずに、かばいだてました。
母を知らずに甘えん坊で、仕方がない。
私がなんとかしなければ……
父神からも追放された弟を味方するものは、もう私しかいない…。
そんな姉神の“親心”や愛情も、まったく気づかずに、言うことも聞かずに須佐之男命さまは、荒び(すさび)をやめずに、どんどん暴力はエスカレートしてしまったのです。
そして、機屋の屋根を壊し、皮をはいだ馬を投げ入れて……。
天の服織女(はたおりめ)たちは、逃げまどいます。
一人の服織女(はたおりめ)は、ショックから機織りの用具を陰部に突き刺して、死んでしまったのです。
見畏み(みかしこみ)て……
急いで機屋へと駆けつけた天照大御神さま。
あまりに悲惨な、信じられない目の前の光景に言葉を失います。
服織女のことも、きっと可愛いがっていらっしゃったでしょう。
その一人が、陰部にケガをして命まで失った……。
私も、同じ目にあい殺されるかもしれない……。
とても、恐怖を感じられたと思います。
父神の伊邪那岐命さまは、優しい父でした。
でも、同じ男性神の弟があらわにした狂暴性を、初めて目にした衝撃と恐怖。
『古事記』には、ここは「見畏みて」(みかしこみて)
とあります。
この「見畏みて」は、父の伊邪那岐命が、黄泉の国で、伊邪那美命の死体を目にしたときに、出てきた言葉なのです。
そして、娘の天照大御神さまは、弟の須佐之男命さまの、すさまじい暴力を目にして、「見畏み」た……。
心理学者の河合隼雄氏は、
「この繰り返しはなかなか見事」と指摘しています。
伊邪那岐命さまが「見畏みて」たものは、
妻の伊邪那美命の死体と、
女性の偉大なる慈愛に満ちた、
グレートマザーの「影」でもありました。
鬼子母神のように、すべてを呑みこんでしまう女性
天照大御神さまは、
須佐之男命さまの、“暴力性”という男性の暗い半面。
これは単なる恐怖の体験ではない。
己を超える存在に対する感情が含まれている
このようにして、男性も女性も異性の暗い半面を知り、
己のコントロールを超えた存在の認知を重ね、
人間として成長してゆく過程を描いていると思うと、
「見畏む」体験の繰り返しの意義が理解できるのである。
イザナギは、ひたすら逃亡し、
アマテラスは、岩戸のなかにこもった。
いずれの場合も、立ち向かえば破滅があるだけだろう。
天の石屋戸
そうです。
天照大御神さまは、機屋のご様子を、「見畏みて」
あまりの恐怖から
高天原にある岩窟へと
お隠れになったのです。
そして、石の戸を固く閉ざしてしまわれて、
“ひきこもられ”て、しまったのです。
見目麗しいお姿を決して現そうとしませんでした。
さあ、大変です。
太陽の姫神さまが、お隠れになったのです!
高天原も、地上の葦原中つ国も、
光が失われ、真っ暗闇の闇だけの世界になりました。
太陽の陽の光がありません。
天上も地上も、暗闇で昼のない夜だけが続いたのです。
暗闇の中、夏の蠅がいっぱいになるように、
「どうしよう~」
「なんとしたことか~」
「ひょえ~~」
と、八百万の神々が、驚き困り果てて騒ぐ声が満ちました。
まるで、この夜だけの世界が、永遠に続くようでした。
暗い闇の中で、あらゆる禍(わざわい)が
一斉に起こりだします。
太陽の光の恵みを失った
葦原中つ国の地上では、
すべての生命が、そのいのちの、
生命活動が、破滅しそうになっています。
高天原も
葦原中つ国も
地球滅亡!?
大ピンチです!
―次回へ
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