川の神の子、速河彦 元伊勢七七 神話は今も生きている ことの葉綴り四〇六
春季例祭
こんにちは。「ことの葉綴り」をお読み下さりありがとうございます。お一人お一人、安寧でありますように。
四月十日は、私の奉職するお宮の春季例祭でした。
ご祭神は、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)さまと、御父母神の伊弉諾・伊弉冉(いざなぎ・いざなみ)大神さまです。
雲一つない青空の下、うぐいすの鳴き声がここちよい鎮守の杜で、無事に春季例祭のご神事、とどこおりなくとりおこなわれました。
うちのお宮は、ご神事の前の「修祓(しゅばつ)」お祓いは、境内の屋外でおこなわれるのです。
そこから、参道を歩いて参進して拝殿へ向かうのです。
朝の陽ざしの木漏れ日の中でのお祓いも、本当に心身が浄められるようです。写真がなくお見せできないのが残念!!
さて、今日も神話の物語を少し綴ります。(長旅前のひとときです)
※これまでの神代~14の神話の物語(1~367回まで)のまとめはこちらです。お好きな神様の物語をご覧になってください。新たに「元伊勢 倭姫命さま 前編」の物語もマガジンに「まとめ」ました。
川で出会った、川の神の子
倭姫命(やまとひめのみこと)さまが、天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまを、伊勢の神宮にお祀りされるまでの「元伊勢」の物語。
伊勢の国「伊蘇(いそ)の宮」に、天照大御神さまをご鎮座申し上げ、お仕えしながら、「さらによき宮処」を求めて、ご巡幸を続ける倭姫命さま。
前回は、重臣の五大夫(ごたいふ)こと、「駅使(はゆまのつか)ひ」たちの乗る御船が、小舟で御巡幸される倭姫命さまから、遅れをとってしまい「宇久留(うくる~)遅れる~」の、“珍事件”をご紹介しました。
そのあと、この記述はないので、それほどおおごとにはならなかったようですね。よかった、よかった(^^)
さて、倭姫命さまは、ご巡幸を続けられます。
其の処従(ところよ)り幸行(みゆ)きするに、速河彦詣(はやかはひこまゐ)で相ひき。「汝(いまし)が国の名は何そ。」と問ひたまふ。白さく、「畔広の狭田の国。」と白して、佐佐上の神田を進りき。其の処に速川狭田の社を定め給ひき。
倭姫命さまが、宇久留(うくる)の地から、小舟にのられて行幸をお続けになられました。そこよりさらにお進みになると、速河彦(はやかはひこ)と出会われました。
この速河彦(はやかはひこ)は、神の子といわれているのですが、詳しいことは不明なのですって。でも河が速いということで、この外城田川(ときたがわ)の神の子なのかもしれませんね。
この神の子に、「あなたの国の名はなんというのですか?」と、お尋ねになると、その神の子こと、速河彦は、「はい、畔広(あぜひろ)の狭田(さた)の国です」とお答えになりました。
さらに、この速河彦は、倭姫命(やまとひめのみこと)さまに、佐佐上(ささかみ)のご神田を献上なさいました。
倭姫命さまは、その場所に、「速河狭田神社」をお定めになりました。
内宮摂社「狭田国生(さたくになり)神社」さん!
こちらは、三重県の度会郡玉城町佐田にご鎮座する「狭田国生(さたくになり)神社」さんと比定されているそうです。
内宮の摂社で、伊勢の神宮125社の一つです。
狭田は、さた→佐田。川の支流に挟まれた細長い田のことです。
外城田川(ときたがわ)の南にご鎮座されています。
ご祭神は、速川比古命(はやかわひこのみこと)、速川比女命(はやかわひめのみこと)、山末御魂(やまずえのみたま)。
地元の方には「はいこさん」と親しまれているそうです。これは
ご祭神の名前の呼び方が”縮んだ”感じですね。
あっ長旅、空へ出発の時間! ではまた!
―次回へ
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