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ご神託の御子誕生 神功皇后五 神話は今も生きている ことの葉綴り六〇五

大安吉日の火曜日

おはようございます。十月も残りわずかですね。残暑から本格的な秋へと一気に季節が変わりましたね。
皆さん、体調崩したりされていませんか?
さて、十月二十六日は「大安」吉日!
十二直は「おさん」で、物事を納め入れる日。商品の買い物、新築に吉。二十八宿は、「」で、婚礼、開店開業、建築、設備工事。薬の飲み始めに吉。
そして、ご神事や神社の参拝によい「神吉日かみよしにち」です。

<ことの葉綴り>全体のご案内
この「言の葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。
「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体のご紹介は、こちらをどうぞ。
600回の節目に、まとめてみました。


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神のお告げの御子、誕生!

夫である、第十四代仲哀ちゅうあい天皇が、神の逆鱗に触れて身罷られたあと、神功じんぐう皇后は、身重のお身体で、墨江大神すみのえのみまめのおおかみさまのご神託のままに、西の海の向こうにある新羅しらぎ討伐を成し遂げられました。
卵型の美しい石を二つ、腰に結んで、出産を伸ばし、御こころを鎮めたのです。この石は「鎮懐石ちんかいせき」と呼ばれています。

おぎゃぁ~~

やがて遠征を終えた神功じんぐう皇后さまが、大和国までの帰路の途中、筑紫国(九州の福岡県)にまで戻ってこられたとき、墨江大神すみのえのみまめのおおかみさまが、「すべてこの国は、お腹におわす御子の統べる国である」と、お告げをされていた御子が、元気に誕生されたのです。

そのことから、この御子がお生まれになったところは、「宇美うみ」と名付けられました。
また、神功じんぐう皇后さまが、腰の御裳みもに巻いていた「|鎮懐石《ちんかいせき》」は、伊斗村いとのむら(福岡県糸島)に祀られました。


これが前回もご紹介した、「鎮懐石ちんかいせき八幡宮」さんです。
神功じんぐう皇后さまも、大きなことを成し遂げられたあと、十五カ月目に、無事に御子を出産されて、美しい海岸からの夕日を感慨深く眺められたのではないでしょうか。あ~本当に、一生に一度、お参りしてみたい。

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神功じんぐう皇后、鮎釣りも?!

また、神功じんぐう皇后さまの伝承が、この地域には多く残っているそうです。

新羅へと征伐に向かわれるとき、筑紫の末羅縣まつらあがた(佐賀県唐津市)の玉島川に立ち寄られたそうです。
四月のはじめ、春のことだったそうです。(まあ旧暦ですが)
この玉島川の川辺で、食事をされたときのことです。
神功じんぐう皇后さまは、河の中で、釣りをされたそうです。

河の中の磯にお座りになられると、御裳の糸を抜き取ると、その糸にご飯の粒をつけて餌にされて、その河の年魚あゆを釣り上げられたのです。

アクティブですね(^^)。今流行りの、キャンプですね。

というのも、この釣りには、戦勝を占うためだったそうです。

その河の名を小河と謂ふ。またその磯の名を|勝門比賣《
かちとひめ》と謂ふ。


と、ありますよ。

このとき、珍しい年魚あゆが釣れたそうで、このときに連れた魚を、魚+占と書いて「鮎」になったという言い伝えもあるとか……。

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唐津に生きる、神功じんぐう皇后伝説

また唐津には、「万葉垂綸石すいりんせき公園」があり、神功じんぐう皇后さまが、釣りをされるときに乗っていた石は、「垂綸石すいりんせき」といわれているそうです。

そして、「玉島神社」(佐賀県唐津市浜玉町南山)さんには、神功じんぐう皇后さまはお祀りされています!
聖母せいもん神社さんとも呼ばれていて、今も、安産の神さまとして、崇められているそうです!

鏡神社」さんは、唐津市の鏡山にご鎮座するお宮で、新羅征伐の勝利を祈願されて、この山のいただきに鏡を納められたそうです。
その鏡をご神体として、地元の方々がお守りになられたのが、神社の縁起だそうです。

神話って、今も本当に生きていますよね。
無事に新羅征伐を終えて、筑紫で御子を出産された神功じんぐう皇后さまの物語は、まだ続きます!宜しくお願い致します。

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―次回へ
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