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世界三大墳墓・世界遺産 仁徳天皇三三  神話は今も生きている ことの葉綴り七一一

巳の日

おはようございます。早速ですが、二月九日(水)の暦は、六曜は「先負せんぶ」で、午後は吉。万事に平静を吉として控えめでよし。十二直は、物事か平かになる「たいら」。平等円満に物事が決まりやすい日。地固め、柱立て、壁塗り、建築や婚姻、移転、旅行などすべて障りなし。二十八宿は「しん」で、婚わいなどのお祝いごと、地鎮祭などの建築こと、祭祀、お参りなど吉。
そして、「巳の日」です。
弁財天さまのお使いとされる白へび。脱皮を繰り替えす長寿で縁起がよく、金運財運によい日。
寅の年、寅の月、そして巳の日で、金運招来にいい日のようですよ!

さて神話の物語に入ります。

枯野からのの琴の音


聖帝と呼ばれた第十六代、仁徳にんとく天皇さまは、淡路島の清水を、難波の宮まで、毎日デリバリーしていました(^^)
それを可能にしたのは、とても高い樹でつくった船「枯野からの」のおかげでした。

やがて、この「枯野からの」号は、破れ壊れてしまいますが、この船を焼いて、塩を焼き、焼け残った木で琴をつくりました。
枯野からの」の木でできた琴を奏でると、その琴の音は、遠く七里まで、美しく鳴り響いていきました。

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この琴の音を聞いた人たちは、こんな歌を詠みました。

枯野からの
しほに焼き
あま
琴を作り
かきくや
由良ゆら
門中となか海石いくり
れ立つ
浸漬なづの木の
さやさや

速く進む船「枯野からの」を焼いて塩をつくり
それの焼け残った木で琴を作ってかき鳴らすと
その音は、紀州(和歌山)と淡路(淡路島)の間の
由良の海峡の海中の岩礁に生えて揺れ動く
海藻のように
さやさやと、清らかに美しく響くことよ

「こは志都歌しつうたの歌返しなり。」
これは静かな、庶民の歌の返し歌です。

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時代を超えて、世界三大墳墓・世界遺産

そして、仁徳にんとく天皇さまは、御年、八十三歳
丁卯年の八月十五日に崩御なさいました。

御陵は、毛受もずの耳原にあります。
毛受もずは、百舌鳥で、大阪府堺市の「仁徳天皇百舌鳥耳原中陵にんとくてんのうもずのみみはらのなかのみささぎです。



2019年、天皇の陵墓としては初めて「百舌鳥・古市古墳群」として世界遺産に登録されましたね。
「クフ王のピラミッド」「秦の始皇帝陵」と共に世界三大墳墓の一つです。
百舌鳥古墳群」は、大阪府堺市の東西南北約4㎞の範囲一体で、古墳百基以上があったといわれます。けれど時代の変遷と都市化により、現在は、四世紀後半~六世紀前半につくられた四四基の古墳が残っているようです。

16代仁徳にんとく天皇さまの物語は幕を下ろします。
多くの恋に、皇后の嫉妬に知恵、悲恋など、千六百年以上も前の御世の物語が身近に感じていただけたら幸いです。
そして、今の時代に、世界遺産に登録されたり、世界三大墳墓と、聖帝こと仁徳天皇さまは、時代を超えてスケールの大きさを感じますね(^^)
神話は今も生きているのですから……。
世界遺産の「仁徳天皇陵」も行ってみたいですね。

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―次回へ
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