藤の花の香で比売を 応神天皇さま三一 神話は今も生きている ことの葉綴り六五五
大雨・飢餓・疫病の根絶祈願の「若宮おん祭り」
おはようございます。真冬の寒さの昨日から今日は暖かくなりそうです。
さて、十二月十五日(水)の暦は、六曜は「仏滅」で勝負なしの日。十二直は「納」で、物事を納め入れる日。買い物や五穀の取り入れに良い日。二十八宿は、婚礼などのお祝い事、地鎮祭など建築、祭祀、お参りすべて良し。ただし、衣類の新調は凶の「軫」 そして、「母倉日」で天が母のように人々を慈しむ日で婚礼がとくによい日と、ご神事に関すること、お参り、お墓参り、供養によい「神吉日」です。
十二月十五日~十八日は、奈良県の春日大社の摂社「若宮神社」の「おん祭り」。これは平安時代、大雨洪水による飢饉が続き、疫病が流行したため、これをしずめるめに1135年、天児屋根命さまと比売り神の御子の天押雲根命さまのご神威にすがるために、ご神霊をお迎えして祭礼を奉仕したのが始まり。霊験あらたかで、長雨洪水も収まり、青天も続いたそうです。そして、現在まで受け継がれています。今年は規模を縮小して関係者で執り行われるようです。
まさに、今、必要な御祈願ですね!
母の知恵と春山の霞壮夫
さて、神話の物語に入ります。
秋山の下氷壮夫と春山の霞壮夫の兄と弟のお話。
美しい伊豆志袁登賣神に、八十神たちは求婚しますが、誰も良い返事をもらうことができません。
兄の秋山の下氷壮夫も、そっけなく相手にされませんでした。
「僕も求婚します」という弟の春山の霞壮夫に、兄は「やめておけ。どうせむだだ」と止めますが、「でもいってみます」と、のんきな様子。
そこで兄は、「もし万が一、お前が比売を妻に娶ったななら、上等な上下の衣服を脱いで譲ろう。お前の背の丈の甕につめた美酒も、山河の産物のご馳走を取り揃えよう。これは賭けだ」
そう提案したのです。
嬉しそうに弟の春山の霞壮夫は兄にうなずくと、その足で、二人の母の元を訪れて、兄とのことの次第を伝えたのです。
可愛い息子の話を聞いていた母は、「そうですか。明日朝早く、伊豆志袁登賣神の元へ行くまえに、もう一度、母のところへ顔をだしなさい」と告げました。
藤の蔓で衣を縫う母
母は立ち上がると、庭の藤棚から藤の葛(蔓)を手に取れるだけ取ってきて、一夜のうちに、息子の衣、袴、くつしたに、その藤の蔓を縫い合わせていきました。
さらに、弓矢にも藤の花を美しくあしらっていったのです。
翌朝早くに、弟の春山の霞壮夫が、母の元へと現れると、
「さあさ、この衣に着替えなさい。そしてこの弓矢を持っていくのです」
と、藤の蔓を縫い合わせた衣袴を着せて、藤の花があしなわれた弓矢を手に持たせて、伊豆志袁登賣神の元へと送りだしたのです。
比売の前で花開く藤
素直な弟の春山の霞壮夫は、藤の蔓の衣を着てでかけていきました。
噂の美女、伊豆志袁登賣神のお屋敷に到着したころには、藤の蔓だと思っていた衣・袴、くつしたを身にまとった全身から、藤の花が満開に咲いて、全身から香しい藤の香りが満ちていました。
初めまして。私は、春山の霞壮夫と申します。
伊豆志袁登賣神さまにお会いするために参りました。
我が屋敷を出たときは、蔓ばかりでしたが、伊豆志袁登賣神さまにお目にかかれるという嬉しさから、藤の花も見事に咲き始めました。
なんと香しい~。
伊豆志袁登賣神も、驚きながらもその花の美しさを香しさを感じていました。
藤の香りで抱きしめて
しばしお待ちを。厠をお借りしたい。
そういうと、春山の霞壮夫は席を外し、厠へと向かいます。
そして藤の花が美しく咲く弓矢を、厠の壁に立てかけました。
伊豆志袁登賣神は、しばらく春山の霞壮夫を待っていましたが、なかなか戻ってきません。
厠というけれど、遅すぎる……どうしたのかしら?
と、しびれをきらした比売は、厠へと向かいました。
けれど誰もいません。
ただ藤の花の香だけが残っています。
そう~っと入って覗いてみると、壁に藤の花が咲く弓矢が立てかけてあります。
なんだろう~これは? まあ弓にも藤の花が……なんといい香りだこと。
藤の弓矢を手にとり、母屋の入り口へと戻ってきたときです。
その比売の後に、春山の霞壮夫がそっと立ちました。
そして伊豆志袁登賣神後ろから抱きしめました。
背後から藤の花の香りがたちこめています。
いわゆるバッグハグですね(^^)。
そして、そのまま母屋に入るや否や、春山の霞壮夫は、伊豆志袁登賣神と結ばれたのでした~!!
藤の花といえば、『鬼滅の刃』でも、鬼が嫌がる香りですが(^^)
神話の物語では、絶世の美女の心を溶かす香りだったようですね。
(写真、藤の花がないので、お花の写真でお許しを^^)
―次回へ
#みんなでつくるアルバム
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