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初國知らしし天皇 崇神天皇最終話 神話は今も生きている ことの葉綴り。二七八

諸国の平定

こんにちは。今日は午後のお仕事の合間「ことの葉綴り。」に向かいます。

神話の物語は、第十代崇神天皇の御代の締めくくりとなります。

御代のはじめには、疫病が蔓延し、心を傷められた天皇が
「夢床」に入られて、天つ神のご神意をうかがわれました
そして、三輪大社こと、大神神社のご祭神の大物主大神(おおものぬしのおおかみ)さまの子孫に、大神神社のお祀りをさせます
そして現在につながる、天つ神、国つ神の神々への祭祀を執り行われました。

さらに、全国を平定するために、もっとも信頼する叔父や、従兄弟、弟を、各地に遣わせていきます。

諸国の鎮護に各地に遣わされた「四道将軍」。
かつて、吉備の国を平定した大吉備津日子命(おおきびつひこのみこと)
崇神天皇のである日子坐王(ひこいますのみこ)
叔父で舅大毘古命(おおびこのみこと)と、
その息子建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)のことです。

崇神天皇が絶大な支持をよせる、叔父で舅の大毘古命(おおびこのみことは、”天皇暗殺“の反乱も鎮めたのち、
越の国(福井県~山形県のあたり)へ向かう途中、
息子の建沼河別命(たけぬなかはわけのみこと)が、
会いにきてくれました

父と子が嬉しい再会を果たした土地は、相津、現在の「会津」と、呼ばれるようになりました。

彼ら「四道将軍」の、各地への派遣と遠征によって、
言葉の力、言霊を持って説得し和平を望み、それでも従わぬときには軍勢が力で平定をしていったことで
天下には平和が訪れ、
人々の暮らしも豊かになっていった
のです。

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初めての「〇〇」、さて何~んだ?

そして、ここで、初めて「導入」されたものがあります
さて、なんでしょう?

現在の私たちにも、繋がっていますよ。

それは「徴税」でした。

男性には、弓矢を使った狩猟でえた鳥獣などの獲物を。
調物として、諸国からさまざまなものを朝廷に貢ぐ、「弓端の調(ゆはずのみつぎ)」ことになりました。

女性は、「手末の調(たなすゑのみつぎ)」といい、手で紡いだ絹、糸、綿布といった織物を貢ぐことになりました。

これが「徴税」のはじまりなのです。

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初の灌漑用人工池!

崇神天皇は、農業の発展のために、日本最古の人工のため池、依網池(よさみのいけ)を、つくります。
現在の大阪市住吉区庭井の大依羅(おおよさみ)神社のあたりにあった10万坪の感慨用池だったそうです。
時代が変わり、江戸時代の宝永四年(1704年)に、
大阪市と堺市の間を流れる大和川の付け替え工事で池の2/3が大和川となりました。
さらに戦後、公園や学校に変わった「幻の池」となったのです。
今でも、大依羅(おおよさみ)神社の向かいの公園に、「依網池(よさみのいけ)跡地」の石碑があるんですって!!

神話は今も生きている、ですね!


また、奈良県高市郡にも、「輕之酒折池(かるのさかをりのいけ)」という、灌漑用の人工池を作りました。

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初國知らしし御眞木天皇

天つ神国つ神を丁寧にお祀りをして
徴税」制度を定め、灌漑用の人工池もつくられたことから、
風雨の災害もおさまり、さらにさまざまの穀物も熟し
家家には、食べ物や物が満ち足りて
人々は満足して暮らせるようになり
天下は平穏となった
のです。

まさに、生きるための「ライフライン」を整備してくださったのですね。

神代の物語から綴ってきましたが、これで、国家、社会というものが成立してきている感じがしますね。

まさに国家鎮護人の代の国を整えて治められた崇神天皇の御代を讃えて、こう呼びます。

初國知らしし御眞木天皇
はつくにしらしし みまきのすめらみこと

崇神天皇は、戊寅の年の十二月に、(まさに今の季節です)
御年、一百六十八歳で身罷られました
ちなみに「一百六十八歳」って、めっちゃすごいですよね、
と、どう読むかというと
ももあまり むそぢ まり やとせ……です(笑)

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偉大さを感じる山の辺道の御陵

御陵は、山ノ邉(やまのべ)の道の勾(まがり)の岡の上
奈良県天理市、JR「柳本」駅から約1㎞
崇神天皇 山邊道勾岡上陵(すじんてんのう やまべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)」です。

周囲の濠を含め全長360mという巨大な前方後円墳で、
地元の方には、地域の名から「行燈山(あんどんやま)古墳」と呼ばれているそうです。
お濠に沿った松並木の緑も美しく、また展望もよく、山の辺の道をハイキングする人の、絶好の一休み場所として、親しまれているそうです。
ちなみに、山の辺(やまのべ)の道は、日本最古の道とされ、
大神神社の三輪から奈良へ通じる古道です。

初國知らしし御眞木天皇

その偉大さを感じられる大きな御陵
山の辺の道を歩いて、一休みする人たちを、
御眞木天皇こと、崇神天皇さまは、時代を超えて、温かく見守ってくださっているのでしょうね

ありがたいですね。

あ~大和の山の辺の道を歩いて
初國知らしし御眞木天皇の御陵にも
お参りいってみたいです!!

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―次回へ

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