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八幡大神さまは応神天皇さま二〇 神話は今も生きている ことの葉綴り六四四

皆既日食+大吉+一粒万倍日

おはようございます。地震が続いていますね。震度5の地域もありました。余震にも気をつけていたいですね。
さて、十二月四日(土)、今日もお参りにいいですよ。
六曜は、万事に良しの「大安吉日」。婚礼よし、何事にも終日よし。
十二直は、「とず」で、すべてを閉じ込める日。金銭を納めたり、穴をふさいだりにいい日。
二十八宿の「」も、婚礼、開店開業、就職、求職、引っ越しに吉。
そして、昨日に続いて連日の「一粒万倍日」です。一粒の種を蒔けば万倍に実る吉日。婚礼、引っ越しをはじめ、新しいことをするのにも佳き日! 吉日が重なると効果が倍増! 大安と一緒なので、Wの吉祥日ですね。
加えて夕方には、射手座の新月で、皆既日食!
天体も暦も、なんだか大忙しで、力がありそうな日な感じがしませんか?(^^) ぜひ、お参りをしたり、新月のお願いごとしてみては、いかがでしょう。
皆さまの、願いが叶いますように!!
いつも、ありがとうございます

私は久しぶりに鍼灸治療に行ってきまーす。

<ことの葉綴り>全体のご案内
「ことの葉綴り」は、神話の物語を神さまごとに「マガジン」に分けて読めるようになっています。「神さまも“失敗して成長した”」と、魅力的な神さまごとに18のマガジンに分かれています。全体の紹介は、こちらをどうぞ


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応神おうじん天皇のみささぎ

神功じんぐう皇后を母に持ち、品陀和氣命ほむだわけのみことまた、誉田天皇ほむたのすめらみことと呼ばれた、第十五代応神おうじん天皇さまが、一百三十歳《ももあまりみそとせ》身罷られました。
御陵は、川内の惠賀の喪伏の岡にあり」とあります。
大阪府羽曳野市誉田「応神天皇陵古墳」。
正式名称「おうじん天皇 惠我藻伏崗陵えがのもふしのおかのみささぎ」といいます。

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応神天皇さまこそ、八幡大神様!

この地は、幼少の頃にお住まいになられていたところで、また皇后で、皇子の大雀命おほさざきのみことの母、中日売命の御陵「仲津媛なかつひめ皇后陵」も、この陵の近くにあります。
「応神天皇陵古墳」のすぐそばには、「誉田八幡宮」さまもご鎮座されていて、というか、地名も「誉田」ですものね! すごいですね。

そうです、今回の物語の主人公、応神天皇さまは、誰もが知る、全国に約四万社ご鎮座する、八幡神大さまなのです!!
八幡神さまとしてお祀りされるのは、まだ後のことですが……。

応神おうじん天皇さまは、母の神功皇后の胎内にいらしたときから、この天下を統べることを、ご神託で告げられていました。
生まれたときには、すでに、腕に鞆の形をしており、“産まれながら国を統べる”といわれていました。

そして、この御代で、海の民、山の民を平定し、朝鮮半島との交流も進み、産業、社会が発展していったのです。

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大山守命おおやまもりのみことの反逆

応神おうじん天皇さまは、いちばん年下の皇子、宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこに皇位を譲り、その補佐を大雀命おほささざきに。そして、長子の大山守命おおやまもりのみことには、山海の政をせよと、みことのりを出されていたのですが……。


偉大なる父が天下を治めている間、長子の大山守命おおやまもりのみことには、動きはありませんでした。
けれど、秘かに武器や兵士を集めていたのです。
自分こそが、皇位を受け継ぐのだ! そのために、弟、宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこの命を奪い天下を獲るために……。

この“反逆”の企てに気づいたものがおりました。
妃を父から譲り受け、また弟に皇位を譲りたいという父の本心を察した皇子大雀命おほささざきです。

大雀命おほささざきは、兄が兵士を集めて、弟を殺害しようとしていることを知り、すぐさま、弟の宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこへと使者を使わせて、兄の反乱を知らせました。
弟は、皇位を継承し天皇に即位しなければなりません!

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兄の反乱を知った弟は?

弟の宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこは、たいそう驚きます。

まさか、兄が私の命を狙うとは……。

宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこは、兄の兵士たちを迎えうつために、どうすればいいかの策を案じました。
そして……。

兄は、きっと宇治川に添い進んでくるであろう……。

宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこは、この宇治川のほとりにの草むらに、自分の兵士たちを潜ませました。
そして、宇治の山の上に、荒絹でつくった幕を張り巡らして、自らの立派な陣営をつくりました。

次に、陣屋の中の王が腰かける床几しょうぎを、人目に見えやすいところに位置させました。
そして、自らではなく、側近の舎人を、自らの“影武者”「王」として、この床几しょうぎに座らせます。

この身代わりの「王」に、多くの官僚たちが、恭しく敬う様を、わざと外から見えるようにして……兄の兵士たちを待ったのです。

では、本物の宇遲能和紀郎子うぢのわきいらつこは、どこにいたでしょう?
久しぶりに三択です。
1 粗末な身なりとなり、宇治川の船頭となった。
2 恭しく王に仕える側近のものに扮した
3 皇位は継承したくないし、命も惜しいので、大和から逃げた。


さて、どうなるでしょうか?(^^)
偉大な父、亡きあと、すぐの後継者争い……神さまも人も同じだなって、思いますね。
神話の物語、どう決着するのでしょうね。いつもありがとうございます。

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―次回へ。

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