ことほ  ”形のないものへ手を伸ばすきもち”

1986年生まれ。フェルトで絵を描いてます。 好きな言葉は祝福。まんがと玉子焼きとナッ…

ことほ  ”形のないものへ手を伸ばすきもち”

1986年生まれ。フェルトで絵を描いてます。 好きな言葉は祝福。まんがと玉子焼きとナッツと甘いものと音楽が好きです。

最近の記事

詞になりたい詩:親切なる○○へ

今日はちょっと落ち込んでも平静なふりしたから とっておきアイスを買って帰ろう200円ちょっとで幸せになれるなんて容易い 今月もがんばって笑顔をキープできたから とびきりのパフェを食べに行こう2000円ちょっとで幸せになれるなんて容易い 大人になるって不自由なこと? こんなに自由にご機嫌を作ってる あぁだけど君とくだらない話がしたいな 口実を探すのにもう疲れちゃったから 親愛なる親愛なるこの気持ちに名前なんているかな 親愛なる親愛なる君を全力で笑わせたいな (2番)

    • 力をくれるミュージック

      久しぶりにCDを買った。 東京事変の新しいアルバム。 難しいことはさておき、音楽は希望。 自分の部屋で好きな音楽をかけるのはいいもんだな、って感覚を思い出せた。 サブスクでPCでもスマホでも聴けるけど、なんだかもっと、空間に“ある”ような感じ。 遠くない将来、レコードを部屋で聴く生活も始めようと思う。 私の普段聴くジャンルは日本のポップスやロックがほとんどだから、レコード屋さんに行くという新しい習慣と共に、いろいろな国や時代やジャンルの、知らない音楽に出会って行きたい。

      • 「しっかり休むことも仕事のうち」って言う人に、そうだねって頷きそうになったけど。私の考えはそうじゃなかった。 休むことは、仕事じゃない。 休むことは、休むこと。 仕事じゃないことをしっかりするのが大事なんだと私は思う。 「仕事だからする」っていうのは、ちょっと違うかもと思う。

        • 夢で流れた曲

          ずいぶんと、文章を書かずに時間が経ってしまった。 色んなことがあり、色んなことを感じた。自分も周りも変化もあった。おおむね健やかに過ごしているし、最近また、ダメ元で人にお願いしたことが叶いつつある。叶った瞬間はとても幸せで有り難くて、だけど願いが叶っても日常は続く。 願いが叶った瞬間の幸せと有り難さは、次から次へとやって来る細々とした日常のあれこれの中で、遠い記憶になっていく。 でもって、気付くと落ち込んだりモヤモヤすることに目が行ってしまい、あんな幸せなことなんてなか

          歌うように他のこともしたい

          書けない書けないと思いながらなんとか文章を書くとか、描けない描けないと思いながらなんとか絵を描くことがある。なんとか形にしたいと手と頭を動かしてるうちに、いつの間にか目の前には文章や絵が現れている。さっきまで、自分の脳みその中にあっただけのものが、目の前に、自分と切り離されたものとして。そして、その目の前の「もの」を見つめて、また手を動かす。イメージを形にするために。あるいは、イメージを超えていくために。 ふと、歌うときは歌えない歌えないと思ってないな、と気づいた(人前で歌

          立派になろうとか、役に立とうと思いすぎるから、本来の自分から離れていくのかも。 わたしが作るのは、無駄なものでいい。くすっと笑ったり、少ししんみりしたり。それでいて、こっそり今日がいい日だなって思えるようなもの。 そんなことを思い出せた今朝は、久しぶりにSAKEROCKを聴こう。

          立派になろうとか、役に立とうと思いすぎるから、本来の自分から離れていくのかも。 わたしが作るのは、無駄なものでいい。くすっと笑ったり、少ししんみりしたり。それでいて、こっそり今日がいい日だなって思えるようなもの。 そんなことを思い出せた今朝は、久しぶりにSAKEROCKを聴こう。

          364日。

          今、毎年楽しみにしている大好きなイベントのボランティアスタッフをしており、本番まで1ヵ月を切ったもので、非常にとっちらかっている。 とっちらかるような気はしていた。自粛期間に準備を進められなかった分、例年より時間は限られている。自粛明けの6月から徐々にとっちらかり始め、7月、そして8月。気づいたら毎日のように床で寝落ちしている。電気を付けたまま、顔も洗わぬまま。 やることがいっぱいになると、生活することをなおざりにしてしまう。ふと時間の空いた時に洗濯してしっかり掃除して、

          東京を離れようと思う。 今すぐではないけど、もう本当にその方向で、そのつもりで色々やっていこうと思う。 どこでどう生きるか。お金のこともパートナーのことも、自分に正直にいたらなるようになるんじゃないか。 とりあえずは、私が今東京にいる一番の理由を、やれるとこまでやってみよう。

          東京を離れようと思う。 今すぐではないけど、もう本当にその方向で、そのつもりで色々やっていこうと思う。 どこでどう生きるか。お金のこともパートナーのことも、自分に正直にいたらなるようになるんじゃないか。 とりあえずは、私が今東京にいる一番の理由を、やれるとこまでやってみよう。

          想像と現実の追いかけっこ

          ここ数日、人に対して勇気を出したことが3つあった。 そのうち2つは、少しムリ目な(と自分が感じる)お願いをするというもの。お願いをしたのは、お世話になっている友人であると同時に尊敬している人達である。 それぞれに別のとあるお願いをしたところ、1つは快諾してもらえて、もう1つは検討中だけど前向きな感じである。 こんなことお願いしていいかな、迷惑に思われないかなと心配していたけど、お願いしてみてもよかったんだなぁ、面白いこととして受け止めてもらえたんだなと感じて嬉しい。

          たった一人のひと

          出合えただけでじゅうぶんだった。 ほんとはそうだったと思う。 その人と出合えたことは、私はもっと私を表現して生きようというひそかな決心に繋がった。 それは自分でもびっくりするくらいの、自分の内側から湧き上がる感情だった。圧倒的だった。 この人っていう存在が、たとえ人間じゃなくてもすきだっただろうなと思った。 禁断の恋みたいな話ではない。 私はその人に出合って初めて、小説「陽だまりの彼女」の主人公のラストシーンの気持ちが理解できた気がしたし、ジブリ作品「千と千尋の神隠し」のハ

          音楽と焼肉

          早番の仕事の後に、いつもと違う沿線に向かい、代々木公園駅から歩いて少しのスタジオへ。 もう大体みんな揃っていて、音を鳴らしている。 この日はスカパンクの曲を初めて合わせる日だった。 音楽イベントのボランティアスタッフ仲間が始めたバンドに、コーラスとして参加するようになってもうすぐ1年が経つ。 ギターボーカルの女の子と、ボランティアスタッフにとっての部活のコーチみたいな存在であるファシリのお兄さんが中心になって、スタジオ入りの日程を決める。そしてそれぞれの楽器を持ち寄ってセッ

          前を向くことにした

          自粛生活が終わり、6月の始めから仕事が再開した。 自粛中は自分の内側と向き合う時間が多く、再び外に(それも都会に)出かけて人と関わる仕事に戻れるのか不安もあったけれど、始まってみたらやっぱり人に会えるのが嬉しい。(うちにいるのも楽しかったけど) 職場の仲間や仕事で関わる人がやっぱり好きだし、人の素敵なところを見つけやすい場所なのだと感じている。 その一方で、何もかも元になんて戻らなくていいよ、という気持ちもある。 たとえば、夜遅くまで働くこと。以前は夜遅い時間のシフトが多く

          胸が痛かった話

          昨日、6週間ぶりに電車に乗った。 健康診断を受けに渋谷まで出かけてきた。 9:40の予約で普段よりも早起きすることになっており、数日前からどことなく緊張していた。 前日は早めに休み、無事に早起きに成功。問診票や検体の準備もばっちり。自粛期間に入ってからルーティンになっている床掃除、さらにお風呂掃除も済ませた。コンタクトレンズを入れるのも久しぶりで、メガネをかけていない自分の顔はこんなだったのか…という新鮮さ。そして余裕を持って出発。スムーズな朝だった。 久しぶりの電車、

          すべてはよきタイミング(かも)

          ちょうどいいタイミングで、ちょうどいいものが目の前にあらわれることがある。 それは欲しい欲しいと願っていたものの場合もあれば、目の前にあらわれた途端に「そういえば、これが今あるのって嬉しいな」と気づく場合もある。 今回のコロナ渦の中で、そんなできごとが幾つか続いている。 ざっと書いてみると、こんな感じ。 ・東京都が最初に外出自粛を呼びかけた週末の前日・金曜日のこと。仕事から帰りアパートの郵便受けを見ると、奈良県山添村産のほうじ茶のティーパックと柚子ジャムが届いていた。 こ

          安心してしょんぼりしていいよ

          テンション低くてもいいよ 先日「仕事が休みになってから、職場という集合意識から自分が外れてしまったように感じ、職場に対してモチベーションが下がってしまった」とnoteに書いたことが、何日か尾を引いていた。 そう感じたことも、それを書いたことも、申し訳ないと感じている訳ではない。今は今の気持ちを書いておきたいから。 だけどなんとなく気にしてしまっていたのは、働き始めてからの半年弱の間に、職場とそこで出会った人達のことを好きになっていたからだと思う。 好きだけど、今は向かって

          ガーベラから始まる回想とある再会の話

          ガーベラから始まる回想最近、お花を買って部屋に飾るようになった。 商店街のお花屋で小さなブーケを買った。その中にガーベラが1輪あった。 ガーベラの花を見ると大学受験の頃を思い出す。 私が志望していた「テキスタイルを学べる大学」の中に、受験でデッサンのモチーフとして植物が出題されるところがあり、通っていた予備校でよくお花を描いていたのだ。それもなぜかガーベラが多かった。 同じ花を何日か続けて描くことも多く、「水切り」と言って水の中で茎を切ることで花が長持ちすることも教わった

          ガーベラから始まる回想とある再会の話