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胸が痛かった話

昨日、6週間ぶりに電車に乗った。

健康診断を受けに渋谷まで出かけてきた。

9:40の予約で普段よりも早起きすることになっており、数日前からどことなく緊張していた。
前日は早めに休み、無事に早起きに成功。問診票や検体の準備もばっちり。自粛期間に入ってからルーティンになっている床掃除、さらにお風呂掃除も済ませた。コンタクトレンズを入れるのも久しぶりで、メガネをかけていない自分の顔はこんなだったのか…という新鮮さ。そして余裕を持って出発。スムーズな朝だった。

久しぶりの電車、久しぶりの渋谷の街。「思ったより人いるかも…」と感じたが、ボンヤリしていると人にぶつかってしまうあの感じはない。確かに、街も人も変化しているのだ。これは果たして感慨深さなのか、それとも静かなショックなのだろうか。

そんな何とも言えない感じもありつつ、一番印象的だったのは全然別のことである。
もっと私の個人的なこと。個人的にもほどがある胸の痛みのこと。

そう、痛くてたまらなかった。

マンモグラフィが。

前の職場で働いていたときの健康診断では、乳がんの検査はマンモグラフィか超音波かどちらかを選べばよかったので、超音波の検査しか受けたことがなかった。
痛いらしいと聞いたことはあったが、初めてのマンモグラフィ検査は想像を越える痛さだった。

はじめに検査技師さんが「痛かったら我慢しないで痛いと言っていいですからね」と言ってくれたのだが、機械で挟む前に、技師さんが「乳腺がちゃんと写るように」と胸をかき集める、ここからしてもう痛い。触っているのは本当に人の手なのか…?と思うくらいゴリゴリする。この時点で既に痛い痛いと口に出しまくりだった。そして涙を流した。技師さんに「ごめんね~痛いよね~」なだめられ、手こずらせてしまいすみませんと思いながら、なんとか楽しかった記憶あれこれを思い出してやり過ごした。そして機械で挟まれ、レントゲン撮影のため技師さんが離れる。どうにか一人で立っているあの瞬間の、心細さも混ざったつらさ。これが4回続く(両方の胸×左右からと上下から)。撮影がどの方向も1回で済み、撮り直しにならなかったことがせめてもの救いだった。

胸が小さいせいで痛かったのか?と思い技師さんに聞いてみたのだが、大きさの問題というよりは、生理前に胸が張っていると痛みを感じやすいなど、時期が関係しているそう。
その後ネットで検索もしてみたところ、あまり痛くないという人もいるし痛いという人もいるし、個人差が大きいようだ。
(これから受ける方、もし痛くてもできるだけ力を抜き、技師さんに身を委ねたほうが早く済むかと思います。ネットで見た感想で、痛すぎて笑ってしまったという方がいたのですが、笑えるのはすごくいいなと思いました)

個人差…、そう、痛みというのは外から見てるだけでは分からない。どれだけつらいことなのか。表情や言葉に出る(出せる)人もいれば、出ない(出せない)人もいる。

痛かったら痛いと言えることは、自分を守ることにもなるのだろう。けれど、私は痛みに弱い人間なのかもしれない。女性・痛みというキーワードからつい「出産はもっと痛いんだろうな」と考えが飛躍し、「その時が来たら、私は痛みに耐えられるのだろうか」と思って少ししょんぼりしてしまった。
「その時」が来るかなんて分からないけれど。可能性はまだ、なきにしもあらずなのだと思っていたい。

なんだか、改めて世の中の「母」という存在を、すごいなぁと思わずにはいられない。
出産も、育てることも、まず誰かと家庭をつくるということも。

だいぶ考えが飛躍したけれど、これは検査が終わってからのことで、痛みを感じているときはもう「痛い」「早く終わってほしい」しか考えられなかった(しばらくしてから、楽しいことを考えてやり過ごそうと思えたのだけど)。

からだの痛みというのは、他の考えがふっとんでしまうくらいインパクトのあることだな。なんだか、あの痛みをなんとか乗り越えたのだから、今「気持ちが」怖がっていることとか、もしかしたら乗り越えられるんじゃないだろうか。こんなに大人になってもおとな気なく怖いことがたくさんあるけれど、多分マンモグラフィの痛みに比べたら大したことないだろう。

そしてその怖いこととは、怖がりながらも実は向かっていきたいことのような気がする。どこかで自分の壁を壊したいとか、心をひらけるようになりたいとか、今の自分を越えていきたいとか、そういう方向に向かう勇気に、痛みの記憶を変えていきたい。

そして何より、何のための痛みをともなうできごとだったのか。私は私のからだのために健康診断を受けた。受けることができた。
私よ私、よくがんばったね。
(そしてそして、クリニックの方々、医療関係の皆さま、ありがとうございます。)

ときどき、大切な人には絶対言わないであろう言葉をかけてしまったり、粗末に扱ってしまうこともある自分自身だけれど。
ほんとのほんとは大切な、替えの効かない自分のからだ。もっと向き合って大事にしていきたいな。

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