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ガーベラから始まる回想とある再会の話

ガーベラから始まる回想

最近、お花を買って部屋に飾るようになった。
商店街のお花屋で小さなブーケを買った。その中にガーベラが1輪あった。

ガーベラの花を見ると大学受験の頃を思い出す。

私が志望していた「テキスタイルを学べる大学」の中に、受験でデッサンのモチーフとして植物が出題されるところがあり、通っていた予備校でよくお花を描いていたのだ。それもなぜかガーベラが多かった。
同じ花を何日か続けて描くことも多く、「水切り」と言って水の中で茎を切ることで花が長持ちすることも教わった。
予備校ではデッサンと色面構成とクリエイティブの世界に向かう精神のようなものと、水切りを教わった。

花のデッサン受験の大学には受からなかったが、念願のテキスタイル専攻のある大学に受かった私は、そこからの4年間、糸を染めたり布を織ったりして過ごした。
ほかの分野の授業を取ることもできたので、映像の授業や絵画の先生のゼミを取ったりもした。大人数で共同制作をしたこともあった。友達の友達、そのまた友達というつながりで大学や専攻を超えて集まった人たちと一緒に、ギャラリーや公園で大きなインスタレーションの作品を作った。

大学の周りは緑が多く、というかもうほとんど山のふもとで、思う存分制作に打ち込める環境があった。楽しかったけれど、いつも何かに悩んだり迷ったりうじうじしていた。周りがすごい人ばかりに見えて、もっとできる人がいるのだから私が何かを作らなくてもいいんじゃないかとさえ思っていた。

だけど、卒業制作では自分でほんとに好きだと思える作品ができた。絵を描くような感覚で織ったタペストリー。初めてかもしれない、自分のしたい表現ができた気がした。卒業の時点で就職は決まっておらず、どうやって生きていくのか何も分からなかったけど、なんとか社会人になり、どうにかあの頃から10年ちょっと生きてきた。

大学つながりで今も親しい友達は少ない。少ないけれど、ずっと仲良しでいたいと思う大切な存在だ。疎遠になった人も、SNSを通じて創作や仕事での活躍を知ったり、年賀状で子どもの写真を見ることができたりすると嬉しくなる。先生方も、真摯に講評や指導をしてくださっていた。

あの場所にいてよかったなと感じるのは、こうして思い出して暖かい気持ちになる人達と出会えたことと、作ることを通して自分を知ることができたからだと思う。
大学にいるとき、私はとにかく自分と向き合うために何かを作っていた。世間との関わり方なんて知らなかった。きっと視野は狭かったけれど、私にはあの時間が必要だったと思う。

そして今になって、卒業制作の頃から消化も消火もされてない「作りたい、表現したい」という想いとまた向き合おうとしている私がいる。

大丈夫、この10年ちょっとの間にたくさんの出会いと手放したものがあって今の私がいる。今も悩んだり迷ったりうじうじすることもあるけれど、自分の人生を面白がる術なら今のほうが知っているから、なんとか生きていこう。

と、ここまでは私の振り返り。ここからはある人が登場します。特定の誰かのことをこんなに書くのはまるでラブレターのように勇気がいるけれど、私にとって印象的なできごとだから書いてみたいと思います。


ある再会の話


作ることをもっとしていこうと心に決めた頃、大学にいた頃の自分が呼び起こされるようなできごとがあった。

同じ大学出身で1学年違いのアーティストの人と出会った。正確に言えば、再会した。大学にいるとき私達は知り合いではなかったけれど、知る人ぞ知るアーティストとなっていたその人と仕事を通して会ったとき、お互い「前にも会ったことがある」と分かったのだ。

それから大学のよしみで顔を合わせるとぽつりぽつり話したり、その人のパフォーマンスを観に行くようになった。

話をしていて私は「この人は本当にアーティストなんだな」と感じた。なんていうか、話す言葉が透明だった。色がついていない。
私は共感覚があるわけではないから、普段から「この人の言葉は何色」とか感じているわけではない。けれどその人と話しているとき、言葉の意味を頭で理解するよりもっと早くすーっと身に染み込んでいくような感覚があった。何て言っているのか理解が追いつかなくて、言葉自体はすぐに忘れてしまうのに、感覚で伝わってくるのだ。

他の人にとっても「透明」かは分からないし、私も全てのアーティストの言葉に「透明」を感じる訳ではない。けれど私はその人の言葉の感じと、その人が表現することとずっと向き合ってきたことは無関係ではない気がした。

私は本来その人達のサポートをする立場だったけれど、自分が仕事で悩んでいることを、その人と、一緒に活動をしている人達に打ち明けたことがある。どうしても心に引っかかってしまうできごとがあって、彼らの意見を聞いてみたかったのだ。みんな親身になって話を聞いてくれ、暖かい理解と励ましを伝えてくれた。ほんとうに暖かい時間だった。その時も、その人の言葉はすーっと染み込んできて、胸の中でこんがらかったものをほどいてくれた。

何て言ってくれたんだっけ、透明ですぐになくなってしまいそうだったから、あとから思い出してメモをした。勝手にその言葉をお守りにしようと決めた。

その人と話をする中で、大学1、2年のときに同じ授業を取っていたことも思い出した。だからお互い見覚えがあったのか。私達は13年前、同じ教室で絵を描いていたのだ。

あの頃、きっと同じようなことで悩んだりしていたんだろう。自分は周りに比べて絵が下手だとか、どうやって生きていけばいいのかだとか。

…そう思ったとき、少し時空も越えた気がした。あの頃の自分も大丈夫だよって言ってもらえた気がした。

表現することを続けてきたその人と、ぐるぐるしたけど自分の「作りたい」と今また向き合おうとしている私と。こうして話ができたから。どちらも、大丈夫なんだよって。

この「大丈夫」の声が、「その人」のものなのか自分自身の心の声なのか、はたまた天の声みたいなものなのかは分からない。
だけど私は、この声もまた勝手にお守りにしていこうと思う。

生きていればこんな素敵なことにだって出会えるんだぜ。面白がって生きていこうじゃないか、これからも。


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