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ぼけっと関係ないことを考える贅沢さ。

ぼけっとは、日本語にしかない言葉。「翻訳できない世界のことば」では、こんな風に紹介されています。

なにも特別なことを考えず、ぼんやりと遠くを見ているときの気持ち。日本人が、なにも考えないでいることに名前をつけるほど、それを大切にしているのはすてきだと思います。いつもドタバタ忙しいくらしのなかであてもなく心さまよわせるひとときは、最高の気分転換です。

最近ばたばたして、ぼけっとする時間もないから、改めてぼけっとの大切さを実感した。

上で紹介した本では、なにも考えないことと説明されていたけれど、私にとってぼけっとは、好き勝手に散らかして考えることだ。

あーあの雲、ポップコーンみたいだな。ポップコーンか、近所にお店できてたな。今日は煮魚食べたいな。お魚買って帰ろう。…みたいに。

一人連想ゲームだったり、全然関係ないことを急に思い出したり。

面白い疑問を見つけたら、とことん分析して考えてみたり。

私たちはいつも、用意された問いに答えを出すことを求められる。

社会人も、学生も。

小さな子供も、親や先生がなにをして欲しいのかを伺って、答えを探しているかもしれない。

でも、人間の本質は、何かを問うことにあると思う。

自分で疑問を持って、自分の問いに対する答えを探すのが、一番楽しい。

自由研究とかも、そのためにあるもんね。

私のお気に入りのお話、村上春樹さんの「100パーセントの女の子に出会うことについて」なんてその象徴たるものだ。

女の子とすれ違って、その女の子が、とびっきり可愛いわけではないけれど、自分にとって100%の、最高の女の子な気がしたという話。

結局主人公は声もかけずにただすれ違って終わってしまうんだけれど、ここまでなら現実に起こりそうな話だ。

そこで、村上春樹は、こんな風に話かければよかったのかなと空想をする。

僕と君は実は18の頃恋人で、お互い100%の女の子と男の子だってわかっていて、でも...って。

その空想の中身がステキで短編ですぐに読み終わるからぜひ読んで欲しいという話は置いておいて、大事なのは、このお話の中心は、好みの女の子とすれ違った主人公の空想だということ。

ノーベル文学賞候補レベルの最大の創造性は、きっとそんなぼけっとに隠れているのだ。

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