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KOTO'S LIFE STORY

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KOTO'S LIFE STORY 第5話 右上腕骨骨折

KOTO'S LIFE STORY 第5話 右上腕骨骨折

やはり夏のクソ暑い日にはろくなことがない。

4歳の夏の出来事。
僕の歴史の中でいくつもあった最悪の出来事の中のひとつめが。

それは1975年の夏の日。
その日の福島県石川郡石川町は暑かった。

夏休みに大好きだった祖母の家の長い廊下でモップがけを手伝っていた時のこと。
モップがよく滑る床だったし褒められるので勢いよく走り回り得意になっていた。

そしてその勢いのまま縁側に転落。

不運にも縁側

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KOTO'S LIFE STORY 第4話 青柳保育園

KOTO'S LIFE STORY 第4話 青柳保育園

当時通っていた青柳保育園は新狭山ハイツの端っこのちょっとした高台にあった。
なかよし広場という大きな公園の横だ。
家から子供の足で徒歩4分。
同じクラスの子達はほぼこの団地の子供達。

毎日が楽しいはず、だった。

だった、というのはつまりそういうことだ。
幼少期の僕の人生において平穏な日はなかなかやってこなかったということ。

どういう字を書くかは覚えていないがドウゲン先生という女性が担任だった

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KOTO'S LIFE STORY 第3話 怪我、アレルギー

KOTO'S LIFE STORY 第3話 怪我、アレルギー

今となってはおぼろげにしか残っていないが・・・幼少期は寂しくて心もとなかったんだと思う。
この時期はあまりいい顔をした写真がない。

両親は共働きだった。
その穴を埋めるために福島から祖母が来てくれていた。

当時の家計のことなど知る由もないが父は会社員、母は学校の先生。
十分な収入はあったはずだ。
しかし母には強い使命感があったのだろう。
決して仕事を辞めなかった。

日曜になればみんな揃うけど

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KOTO'S LIFE STORY 第2話 新狭山ハイツ

KOTO'S LIFE STORY 第2話 新狭山ハイツ

幼少期から小学校5年生まで住んでいた新狭山ハイツという西武新宿線・新狭山駅からバスで8分、歩くと25分という車の無かった僕の家庭には不便極まりない距離にある32棟からなる森を造成した新興の団地はひたすら遊び場だった。

昭和40年代半ば。
イケイケの高度成長期に入っていた日本経済。
首都圏に集中する人口。
ベッドタウンとしてのドーナツ化現象の一端を担ったであろうこの団地。
池袋や新宿を一本で結ぶ西

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