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KOTO'S LIFE STORY

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2019年5月の記事一覧

KOTO'S LIFE STORY 第3話 怪我、アレルギー

KOTO'S LIFE STORY 第3話 怪我、アレルギー

今となってはおぼろげにしか残っていないが・・・幼少期は寂しくて心もとなかったんだと思う。
この時期はあまりいい顔をした写真がない。

両親は共働きだった。
その穴を埋めるために福島から祖母が来てくれていた。

当時の家計のことなど知る由もないが父は会社員、母は学校の先生。
十分な収入はあったはずだ。
しかし母には強い使命感があったのだろう。
決して仕事を辞めなかった。

日曜になればみんな揃うけど

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KOTO'S LIFE STORY 第2話 新狭山ハイツ

KOTO'S LIFE STORY 第2話 新狭山ハイツ

幼少期から小学校5年生まで住んでいた新狭山ハイツという西武新宿線・新狭山駅からバスで8分、歩くと25分という車の無かった僕の家庭には不便極まりない距離にある32棟からなる森を造成した新興の団地はひたすら遊び場だった。

昭和40年代半ば。
イケイケの高度成長期に入っていた日本経済。
首都圏に集中する人口。
ベッドタウンとしてのドーナツ化現象の一端を担ったであろうこの団地。
池袋や新宿を一本で結ぶ西

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KOTO'S LIFE STORY 第1話 誕生〜幼少期

KOTO'S LIFE STORY 第1話 誕生〜幼少期

1971年8月のとても暑い日に僕はお茶の水駅前の三楽病院で産まれた。

もちろん覚えていないが僕が産まれた時の写真の横に母親の字でそう書いてあったからとても暑かったんだと思う。

母親は悪阻がひどく妊娠中は冷やし中華とあんパンばかり狂ったように食べていたそうだ。
マジか。
産まれたての僕の主成分は小麦のグルテンだったんじゃなかろうか。
それが僕の小麦アレルギーの原因のような気がするのだがもうそれは

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KOTO'S LIFE STORY プロローグ

KOTO'S LIFE STORY プロローグ

整体業界への入門前から自分なりに開発したオリジナル頭蓋骨調整テクニック「ことう式あたまの整体®」のこと、そして全国進出や海外進出までの古藤格啓の整体師としてのライフストーリーをつらつらと書いていきます。

この業界に入ったのは大学を出て数カ所の会社に勤務し、そこを辞めてイギリス・スペイン・アイルランド・アメリカ・カナダなどを放浪したあと。
整体師になる前の仕事はお堅い会社の会社員→プロレス雑誌

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