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イイネが多くたって、それは幸せとイコールじゃない

こんにちは!こーたです。

2018年7月くらいからTwitterをガチで始めて、3800人もの方にフォローして頂くことができました。

始めた当時は、とにかくフォロワーが欲しくて、1日30ツイート以上は絶対してたし、リプやRTもいれたら200オーバーの日もありました。

そのおかげもあって、たくさんの人に見てもらうことができるようになったのですが、それは本当に僕にとって幸せなんだろうか?と最近思うようになりました。

勘違いされても嫌なので先に言わせてもらいますが、3800名のフォロワーの皆さんには感謝していますし、みなさんのおかげで、楽しく発信が出来ているんです。

めちゃくちゃ感謝していますし、こんな嬉しい事もありました。

こんな嬉しいことないです。
「あぁ、ちゃんと誰かに届いてたんだな。」
そう思ったら、TwitterもブログもnoteもInstagramも辞める理由はありません。

フォロワーの皆様には、いつも感謝しております。
支えていただいて、本当にありがとうございます!!

✱ ✱ ✱

話を幸せかどうか?に戻します。

前述したとおり、たくさんの方に見てもらえて嬉しく思っているのですが、それは 「= 幸せ」なんでしょうか?

幸せの定義は、人それぞれたくさんあるかと思いますが、今日は「発信活動における自分の幸せ」を考えてみようかと思います。

僕にとっての幸せですので、私は違うなぁと思う方もいるかと思います。ただ、自分にとっての幸せを考える機会になれば幸いです。

◽︎ 目次 ◽︎

1.「イイね=幸せ」じゃなかった
2.本当に''イイ''ものを見極めよ
3.旅をして気づいたこともある
4.発信活動で分かる自分の狭さ
5.発信活動における幸せは表裏一体

あとがき

「イイね = 幸せ」じゃなかった

イイねがたくさん来ると嬉しいですよね。僕もここに陥りました。たぶんTwitterやInstagramをやっている人なら、誰でも気になるんじゃないでしょうか。

かく言う自分も、「これイイ事書けたわ」って時は、イイねがどのくらいくるかなぁ。と気になります。まぁこういう時は大抵スベるんですけどね。笑

発信している以上誰かの反応は気になるものです。
イイねが来なきゃ悲しいし、たくさん来たら嬉しい。

でも、幸せかどうかは別でした。

僕もありがたい事に何度かバズを経験してるんですね。「イイねめっちゃ来るやん!通知止まらんやん!」その時はめちゃくちゃ嬉しかったです。

でも、この800人の中のどれだけの人が本当にイイねと思っているのか。謎でした。

お、気づきました?
そうそう、僕ひねくれもんなんですよ。

この中に、僕が届けたいと思った人は何人いるんだろう。1人かな2人かな100人かな500人かな。

このバズを振り返った時に、僕にとっての、発信活動における幸せに気づきました。月並みな言葉かもしれませんが、「届けたい人に、届く事」なんですね。

この事に気付いたここ最近は、バズも狙わなくなりました。ちなみにこのバズはフォロワーを増やしたくて狙ったバズなので、ポイントを抑えればバズを狙うことは誰でも出来ます。

バズを狙う方法は、色々な人が書いてるTwitterの運用noteを買ってみてくださいね。

もう、イイねを狙うのはやめます。

僕の言葉を届けて、届けたいと想像した人の心にビシビシ響かせることが出来たら、それで良いなって思ってます。

イイねは、「=幸せ」じゃない。

本当に’’イイ’’ものを見極めよ

Twitterをやっていると、イイねの数に流される人が多いなと思います。イイねが多い投稿は、確かに有益だったり、共感できたりする事も多いです。

でもそれ、本当にイイね!って思ってますか?
イイねが多いから、良く見えてませんか?

人間というものは不思議なもので、良いものだという先入観があると、大して良くなくても良いと思っちゃうんですよね。

例えば、普通の水なのに「これ、ヒマラヤの天然氷を溶かしたすごい水なんだって!」って聞くと、「あぁ確かになんかうまいな!」なんて感じる人多いと思います。

それと同じ感じ。

イイねが多いからってイイものではないし、
イイねが少ないからってダメなものじゃない。

バズってても、大した事ないツイートってあるじゃないですか。でもみんなイイねしてるし、なんとなくイイねしとこって人いるんじゃないです?

これを勝手に「惰性イイね」と呼んでます。笑

僕はね、こう思うんです。

自分のモノサシで考えて、感じて、本当にイイと思ったものに反応する事が、大切なんじゃないかな。

発信する側に立つと、届けたい人を想像しながら書くんです。なんでもかんでも書かない。届けたい想いがあって、届けたい人がいるから、言葉にしてる。

発信活動をしてる人の多くがそうだと信じています。

そうだとした時に、「みんなイイねしてるし、しとくか。」って、
書いてる人に失礼な気がしちゃう。

イイねがたくさん来るのは嬉しいけど
それが惰性イイねだったら、ちょっと悲しい。

イイねがたくさんつけば、より多くの人に届きます。そしたら本当に届けたい人へ届きやすくなる。そんな側面もある事も事実ですが、やっぱり自分がイイと思うからイイねをしたい。イイね!って思ったらイイねして欲しい。

そんな事も思うんです。

旅をして気付いた事もある

旅って、非日常的な要素が強いんですね。
その中で五感がすごく研ぎ澄まされていく感じがするんです。意識的にしている時もあるし、無意識のうちに感じる事もある。

旅って、確認作業なんですよ。

でも教科書とかガイドブックでは分からない事を、肌でわかる事が出来るんですね。

研ぎ澄まされた五感で感じる事ができる。

つまり、本当のところは行ってみないと分からないんですよ。どれだけすごい写真で、雰囲気が伝わってきて、めっちゃキレイじゃん!!って思っても、自分でどう感じるかは分からない。少しでも伝えたくて写真を撮ってるという矛盾も抱えてるんですけどね。笑

Twitterも同じだと思ってます。

誰かのツイートがバズっていても、それが頭でイイと思っていても、「同じ状況や同じ経験をした時に、僕は本当にこの人と同じ事を思うのかな?」って考えるんですね。

だから、自分の経験から分かるイイことにしか、イイねをしないようにしています。

だって本当にそれが’’イイ’’のか、今の僕には分からないから。

いやいや、Twitterはそんなに考えてやるもんじゃないよ!笑 だから消耗するんじゃないの?

こんな声も聞こえてきそうですね笑

そう思いますよ。笑
考えなければどれだけ楽に出来るか。

でも前述したように、発信している人には届けたい想いがあって、届けたい人がいます。

それを知った気になりたくない。自分の肌で知りたいから、分かるまではイイねをしない。

僕にそのモノサシがまだないから。

発信活動で分かる自分の狭さ

発信活動をしていると、同時に多くの情報も入ってきます。発信する人のところに、情報は集まります。

その受け取った情報を見ていると、知らないことばかりなんですね。それは単なる情報もあれば、あの人はこんな事を考えて生きているのか!という情報も。様々です。

そうすると、自分のモノサシでは測れないことばかりが増えてきます。分からないことだらけなんです。

でもそれは同時に自分のモノサシが広がる事も示しています。知らない世界を知って、自分の肌で確認をしてみる。そこで初めてイイものを知るんですね。

知る事が楽しいと思える性格なのでしょうか。

分からなかった事が、ある日スッと落ちてくる感覚がものすごく好きなんです。

その分かった瞬間が、すごくワクワクして、モノサシが広くなった事が幸せなんですね。

発信活動における幸せは表裏一体

僕にとっての、発信活動における幸せは2つあります。

ひとつは、「届けたい人に、届く事」
ひとつは、「自分のモノサシが広がること」

届けたい人に、届けたい思いが届くことは最上です。これは、発信活動を初めてから自分の活動を応援してくれてる人に会えると分かります。

誰かの役に立てていることは、本当に嬉しいものです。

そして、自分のモノサシが広がることは、さらに多くの人に届けられることを意味すると思っています。

こちらのワーホリnoteでは「自分フィルター」の中でしか僕らは生きていない。という話をしていますが、モノサシを広げる事と似ています。

自分で価値判断をするために、イイものをイイと思えるように、様々な情報を発信して吸収する。物事の本当の価値がわかる人になれると思っています。

モノサシを広げて、見てくれに捉われない生き方をしていく事が、ひとつひとつの物事を、作り手の想いまで載せて発信していくことに繋がります。そして、そこに信頼や信用がうまれ、より多くの人に届ける事ができると信じています。

ひとりでも多くの人に届ける事が出来たら、その中で本当に届けたい人に出会う確率も上がるでしょう。

モノサシを広げることは、届けるということであり、この2つは表裏一体じゃないかなと思います。

✱  ✱  ✱

あとがき

いつかの自分へ。

今の僕は、たぶん、幸せの形を見たいんだと思います。
幸せって、必ずしも具現化されるものではないと思っています。

でも、それを形にして、幸せをみたいんだと思う。

幸せを肌で感じたいんだと思う。

ここまで書いて、そういう風に思いました。

今の僕は誰にも左右されない、
自分のモノサシで測った最高の幸せを手に入れたいんだと思っている。

そんな気がする。

それは今の自分が、まだまだ誰かに左右されているから。
ぶれている自分に、軸を一本通すことはできましたか。

きっと、いつかの僕はまた色々なことを想っているでしょう。

でもその1つ1つが自分であることを忘れずに、これからも生きていきたいですね。

こーた

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